「教育格差」を憂えるひとたちの奇妙な論理

  • 親の所得には格差がある(裕福な親と貧乏な親がいる)。
  • 裕福な親は、子どもを私立学校に入れたり、塾や予備校に通わせる(教育に投資できる)。
  • 有名大学を卒業した子どもは、学歴社会(知識社会)でさらに豊かになる。

このようにして経済格差が拡大再生産されていく、というのが、教育格差→経済格差の定番の論理だ(これを「因果関係1」としよう)。

ところで、(これまでなんどか書いたように)行動遺伝学の標準的な理論では、知能(IQ)の70%は遺伝によって説明できるとされている(安藤寿康『心はどのように遺伝するか』)。

もしこれが正しいとすれば、次のような因果関係が成立することはすぐにわかる(こちらは「因果関係2」だ)。

  • 親の知能には遺伝的な格差がある(IQの高い親と低い親がいる)。
  • 知識社会では、IQの高い親は社会的に成功する(裕福になる)可能性が高い。
  • 裕福な親の子どもは、貧しい親の子どもよりも有名大学への進学率が高い。

断っておくけれど、私はひとを不快にしたり、嫌がらせをしたいわけではない。このような議論が顰蹙を買うこともちゃんとわかっている。さらに、私は行動遺伝学の専門家ではないから、この主張を証明することもできない。

私がここでいいたいのは、次のようなことだ。

パン職人が、「パンを食べれば健康にいい」といったとしよう。それが科学的に正しいかどうかわからないとしても、だからといって、私はこのパン職人を批判しようなどとは思わないだろう。

だがこのパン職人が、「日本人の健康を守るためにパンに税金を投入すべきだ」と要求したり、「パンが高くても文句をいうな」と居直ったり、「パンを食べないと死んでしまうぞ」と脅したりするのなら話は別だ。

いっけんもっともらしい教育格差→経済格差論の大半は、教育者(大学の教員)によって主張されている。彼らは経済格差を解消するために、(いまでも莫大な税金が投じられているにもかかわらず)教育産業にさらに税金を投入することを要求する。そして子どもの将来を案じる親を、「教育に投資しないとニートになるぞ」と脅している。

「教育格差」論者が認めるように、日本の教育コストはきわめて高い(だからこそ彼らは、教育への税の投入を正当化する)。でも彼らは、親たちが支払う高い教育費から利益を得ている当事者でもある。だったらまず、自分たちで教育コストを引き下げればいいのではないだろうか(べつに給料を下げろといっているわけではない。日本の大学には、合理化の余地がいくらでもあるだろう)。

なぜこのひとたちは、自分で努力しようとしないのだろうか。

教育に税金を投入することで経済格差が解消できるのなら、その政策には意味があるだろう。だがそれが、科学的になんの根拠もないのだとしたら、公金横領とたいしたちがいはない。

行動遺伝学は、膨大なデータを積み上げたうえで、反証可能な科学として、知能と遺伝の影響を証明した。だったら「教育への投資」を唱えるひとたちは、「教育はよきもの」という高邁な理想をやみくもに振り回すのではなく、(自分たちにとって不都合な)「因果関係2」が成立せず、(既得権を守るのに都合のいい)「因果関係1」が正しいことを、科学的な根拠を示したうえで説明すべきだ。