アーカイブス vol.7『渋谷陽一、ルーフトップ登場!』
日本のロック評論を語る上で欠かすことのできない音楽評論家であり、株式会社ロッキング・オンの創設者 /現・代表取締役社長である渋谷陽一氏(ロックの日=6月9日生まれ)。ご多分に漏れず、僕も多感な時期に氏の音楽評論(特にレッド・ツェッペリンのそれ)には絶大な影響を受けました。
そんな渋谷氏が何と我が『ルーフトップ』1977年11月号に誌面登場していたのであります。当時は確かまだ『ロッキング・オン』が月刊化する前(ページ数も少なかった)、80年代後半に音楽専門誌売上トップを走り続けていた『ミュージック・ライフ』を蹴落とし、日本におけるロックのリーディング・マガジンとして頂点に君臨する前の話です。インタビューアは当時の編集長・石野真知子女史(この人もシンコー・ミュージック出身だと悠さんが言ってたな)。“若者社会の診断書”というコーナーからの引用ですが、ロックを生きる指針として真摯に語る文化がまだ残っていた時代の貴重なテキストだと思います。(文責:椎名宗之)
若者社会の診断書 PART1
『ロック・エイジの意識構造と音楽状況の微妙なズレは、一体どこからくるのか。』
話した人:渋谷陽一〈ロッキング・オン〉/聞いた人:石野真知子〈ルーフトップ〉
● リアリティの一致
石野:渋谷クンの場合は割と洋楽ロックの方が仕事としてメインになっているんだけど、そのファインダーを通した中でもいろんな部分で日本のロックの欠陥というのは解るのではないかと、で、その辺を話してくれませんか。
渋谷:日本のロックについて? 日本のロックはいいんじゃないの、活況を呈してきたということで。
石野:それは数が増えたということで?
渋谷:うん、大衆音楽というのは何でもそうだけど、一つの社会的なヴァイブレーションと一致しない限り商売にならない、ゼニにならない訳。どんなものでも、一部のファンというか趣味のそういった人たちに売っていく場合は関係ないけど、あくまで大衆的な支持をうけていこうとするなら社会に土着していかなければならない。それこそ社会の切実なヴァイブレーションと合致する部分がないとダメだと思う。
僕はニュー・ミュージックは立派だと思う。というか、あれだけ普遍化したのは要するに生活のリアリティーが一致したからだと思う訳。例えば、4畳半でもいい、あなたと2人ならアルバイトしながら学生でもいいけど、幸せな生活をして結婚しなくても白木の家具が一つさえあってアンアンでも横にあれば、それでいいのよ…と歌えば、そういう生活をしてる奴なんていっぱいいるはずだから、彼らはああそうかと思うし。荒井由実にしたって中産階級の生活の夢を歌う訳、そうすると自分たちの生活の夢と一致する奴が多い訳。そこに生活のリアリティーがうまれてくる。
ところがロックだと、「武器を持て」とかなんとか歌ってしまう。そうすると聴く側は「あ、そんな人もいるのか」ぐらいの認識なんだよね。そうすると聴く側の切実な欲求をロックのパフォーマーがうけとめて作品化できるかと、一致できるかと、そこに問題点がある訳。殆どがまだ趣味的な所でロックをやっている。
石野:それは送り手に要求される部分でしょ。いかに自分の作品に、そういった欲求を一致させていけるかと。じゃあ逆に考えて、受け手側にある意識現象といったものはどう捉えるのかしら。例えば、いわゆるロック・エイジと呼ばれるものの殆どがティーンエイジャーな訳でしょ。そうすると彼らの置かれている社会状況なんかが、ひとつの欲求が何たるかを示す要因になるんじゃないの。
渋谷:ティーンエイジャーっていうのは皆んな欲求不満だから。彼らは酒とか、そういった発路もないし、っていうか方法論を持たないんだよ。アメリカの場合はロック購買層の年令が上がりすぎてしまって商売にならないんだよね。ところが日本は逆で、業者なんかの販売対象を下げていく方法がまともにいって、低年化していったといえるんじゃないかな。
石野:最近の社会問題で低年層の悩める実態というのが露わになっているけど、小学生の自殺とか。その辺の欲求に応えるものってのは、じゃあ何かということになると…。
● イーグルスと歌謡曲
渋谷:BCR(ベイシティローラーズ)じゃないの。
石野:切実なる欲求を持つ子供たちに対して、提供されている音楽というのがすでに状況からかけ離れてしまっているんじゃないかと。だからBCRやピンク・レディーあたりでごまかしてしまうという気がするんだけど。
渋谷:それは下だけでなく上の方も放り出されているんじゃないの。
石野:それは私たち位の年代のこと?
渋谷:そうだよ、20才過ぎればロックなんてという連中がいっぱいいるじゃない。だけど「ホテル・カリフォルニア」の売れ方を見ると、皆んなが求めていることは求めているんだと解るね。あの曲は有線で火がついたんだよ。あれが1位の時に「北の宿から」が2位だった、偉大なレコードですよ。好きじゃないけど。
石野:現在ね、自分の職業として意識しないで日常生活の中でもロックのレコードばっかり聴いてる?
渋谷:聴くよ、どっぷりね。だって僕なんか朝から晩まで家に帰ってる時でレコードかかってないことなんか全くない。毎日「エクソダス」聴いてるよ。だからラジオ番組なんかも割と趣味的になってる感じ。
石野:へ〜ぇ、私なんか現在だったらすぐに音に占拠されて煮つまってしまいそうだな。話は変わるけど、あなたなんか取材とかで英語が必要なこと多いでしょ。ある程度はできるようになったの?
渋谷:ニューヨークから帰って来た時は、こりゃいかん勉強せにゃという感じだったけど、忙しさで忘れて全然ダメ。ロッキング・オンで英語できないのは俺と松村(雄策)だけ…。こればっかりは、できるにこしたことはないと思うけどね。
石野:会話にしてもそうだけど、英語のファインダーを通して伝えるというのが、ものすごく歯がゆくなることがあるのよね。そのせいか、ともすれば日本語の方へと逃げていく。
渋谷:送り手の実体よりも、どれだけ歌からリアリティーを感じるかということだから…逆にいうと歌謡曲なんかにはちっとも感じないね。アホかいなって…。
石野:あらっ、私なんか歌謡曲のあたりまえすぎる幼さをヒシッと感じるわよ。
渋谷:そりゃ、年だよ。結局は演歌、あなたの本質も演歌だよ、絶対に…。
石野:エエーッ、キツイ。でも本気でいいと思うことはしょっちゅうあるよ。狩人の“コスモス街道”とか。
渋谷:あなたの精神のヴァイブレーションがそこにあるんだよ。だから、ソレを自分の体質として認めるべきだよ。
石野:でも日本人の殆どが演歌の体質だと思うし、ロックにその体質があればもっと売れたんじゃないの。
渋谷:そりゃそうだ、「ホテル・カリフォルニア」だって決定的にマイナーだもの。
● 音のファッションはダメ
石野:ブルースとかそういった音楽に最も近い存在だったはずのロックが、そういった消化しやすい要素までもうまくとり入れてくれなかったから、逆に演歌の方にその大半をまかせてしまっている。
渋谷:それはあるんじゃない、確かに。だけど、その辺はファッションだった訳。音っていうのは彼らにとって格好よくなきゃいけなかったの、だからその辺のベチャという感じは無意味な存在だった。本当はそうやった方が正しいけどね。で、「気絶する程悩ましい」なんかやってもちっとも悩ましくなんかない。
石野:それはいえる。沢田研二の方がまだしも悩ましい。
渋谷:あなたは郷ひろみでしょ。まあそれはいいとしても、ロックの場合なんか格好いいアドリヴとリフがあればそれでいいと思ってる奴ばっかしなんだよ。だから「歌にリアリティーを」と言ったって、そんなもの出る訳がない。
石野:音で先に満足しきってしまうということね。あとはファッションなだけ。
渋谷:だから、そういったつまんない要素にいつまでもしがみついていちゃいけない。商売なんだから売る様に作らなきゃ。最も広い層に迎合する意識がないってこと。それが一番の問題点じゃないの。