いつも思い出す言葉──「◯◯◯を学んで理解できるのは◯◯◯(のことだけ)に決まっているだろうが!」
故人である村崎百郎氏が『ターミナル・エヴァ』に載せていたエッセイ(初出は、本名の黒田一郎名義*1で執筆された『スタジオ・ボイス』の原稿)からです。
村崎百郎は、ぼくがすごく影響を受けている書き手なのですが、特に何度も読み返しているのがここの文章です。
「〈隠された物語〉 オカルティズムの罠、またはエヴァンゲリオンという名の〈電波〉」より
『ターミナル・エヴァ』p123
すでに多くの研究者(マニア?)に〈厖大なディティールと空虚な中心〉と指摘されている通り、『エヴァ』の物語構造は、根幹をなす中心の物語が曖昧なうえにその情報が極めて乏しいため、観る者(観測者?)個人の興味や嗜好に応じて、受け取る印象や〈学び取れるもの〉はまるで違っているようである。厳密にいえば、そんなことは何も『エヴァ』というアニメ作品に限ったものではなく、映画や絵画や小説など、全ての表現活動の作品についても同様にいえることで、「全ては多くの価値や意味をはらんだテクストなんだ」といってしまえばそれまでなのだが、中心ストーリーが曖昧であればあるほど多くの解釈や感想を生成しやすいのも事実であろう。
同p131-132
書名は忘れたが、俺の読んだ魔術書のなかに、魔術世界についての冷静な記述があって、『魔術を学び、自らの裡に一定の整合性を持った世界観なり象徴体系をうち立てて現実世界に向き合うと、〈まるで世界の背後にそのような構造が隠されているかのように〉現実が展開して見えるものだ』というような一節があって、それは本当にそうだと思う。要は何でも思い込みと思い入れ次第で物事は良くも悪くも見えるってことだ
作品論や、評論にかぎらず、なんらかの「価値観」や「学問」などの「思い込み」に基づいて行われる思考は、のきなみ上記の「隠秘学」や「魔術」に置き換えて言えるでしょう。
特に、よく人が無自覚になりやすいのは「この作品は〇〇主義で描かれている」「あの人は〇〇主義者だ」といった思い込みで批判(もしくは過度な賞賛)を行うときほど……。その本人が「自らの裡に一定の整合性を持った世界観なり象徴体系をうち立てて」──つまり自分自身が△△主義者となって──外界と向きあおうとするから、そう見えるだけなのだ、というケースです。
ぼくの仕事の内容が、つねに「なぜそう見えるのか?」「なぜそう感じるのか?」という疑問を出発点にしていることは、慎重に読まれている人達にはご理解いただけていると思います。
人は「対象がどう見えるのか」という変化には非常に敏感になれますが、「なぜそう見えるような目を持ったのか」に関してはとても無頓着になりがちです。
人間というのは「いろいろ学習してよく目が見えるようになった」と思い込むのは大好きですが、「いろいろ学んだ結果、目が曇った」とは思いたがらないものですし。
でも、たいていの目は曇っていくものなんですね。
だからぼくは『老子』の「学を断てば憂いなし」「学を為せば日々に益し、道を為せば日々に損ず」「知る者は言わず、言う者は知らず」の考え方が好きですね(これもまた一種の隠秘学ですが……)。
逆に、なんでも相対主義的に考える思想も好きではありません。じゃあ何が「普遍的」なのか? をライフワーク的に考えつづけているわけですね。
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- ちなみに、引用した部分とはあまり関係ないですが、村崎百郎のエヴァについてのエッセイは切通理作が編集したエヴァ本に「続き」が載る形になっています。十数年経った今だからこそ、読まれる価値がある文章ではないでしょうか
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*1:当時は「友人の名を借りて」という扱い