ウクライナを舞台にしたNATOとロシアの戦争は開始から3年が経過し、今もなお日本のメディアには呆れるばかりのプロパガンダが書き連ねられています。一方アメリカでは大統領の交代があり、日本やヨーロッパ諸国からすると梯子を外された状態になりつつもあるのが現実です。これまではアメリカ側に立っている勢力を絶対の正義として、その反対側の国を貶めることに専念してきたのが日本の政治でありメディアであり、昨今は大学教員も大きく加担してきたところですが、しかるにアメリカ大統領が真逆の方向を向きつつある中で、彼らがどう現実と折り合いを付けていくのか興味深くもあります。
この戦争で露になったのは「自分のことを平和主義者だと信じ込んでいる軍拡論者」の存在でしょうか。現代では右派から毛嫌いされているようなメディアでも、戦前は率先して開戦を煽っていたなんて話はよく知られるところですけれど、その辺は現代も変わらないように思います。平和を望む風を装いつつ、それでいて「敵」を理由にした軍拡はやむを得ないことなのだと積極的に肯定する、停戦案をウクライナの降伏であると強弁して罵倒し、ウクライナ人が最後の一人までロシアと戦うことを望んでいるかのように語り、自らの欲望の生け贄にしようとしている輩は枚挙にいとまがありません。
そもそも日本国内の主要政党、大手メディア、論壇で活躍する現役大学教員の多くは徹底して現実から目を背け続け、アメリカに付き従って軍備を拡充する、アメリカに従わない国との対決に備えることだけが平和を保つ唯一の方法であるかのように喧伝を続けてきました。目の前で起こっている現実を都合良く塗りつぶすことに夢中となっているリアルタイム歴史修正主義の隆盛を前にすると、危機に陥っているのは日本国内の理性であるとも言えるのかも知れません。
現実を直視するのであれば、今回のウクライナを舞台にした戦争ほど「軍事力ではなく外交によって解決できる」ことを証明しているものはないでしょう。この戦争は避けられずに発生したものではなく、望んだから起こったものです。遡ればロシアとウクライナ両国には長い歴史がありますけれど、大きな転機となったのは2014年の、アメリカの国務次官補も参加したクーデターです。ここでウクライナに、当時はネオナチ組織として認定されていた極右武装勢力を含む強固な反ロシア派政権が成立したことで両国の対立は決定的に深まりました。
その後ウクライナの東部ドンバス地方ではクーデター政権と反クーデター派の未承認国家(ドネツク・ルガンスク共和国)による内戦が勃発、二度の停戦合意が結ばれるも合意破りの攻撃は激化し、またロシアが反対してきたNATOの東方拡大も止まるところがなく、とりわけウクライナはNATO加盟を憲法に定めるなど挑発姿勢を強め、事態は悪化の一途を辿ったわけです。そもそも非民主的な武装勢力によるクーデターを認めず、これに諸外国が制裁でも科して封じ込めに努めておけば戦争などは起こらなかったと言えますが、しかるに欧米諸国が選んだ道は真逆でした……
ロシア側の第一の要求であったNATO加盟の阻止についてはウクライナもNATO陣営も一向に応じる姿勢を見せず、もう一つの要求であったドンバス地方の自治権と住民の恩赦についても、停戦合意違反の武力攻撃を繰り返すことで顧みるつもりはないとのメッセージを絶えずロシア側に送り続けていたのが2022年までの流れです。これは一種のチキンゲームで、どれだけロシア側を蔑ろにしても軍事侵攻までは踏み込まないだろうとの思惑が西側諸国にはあったと推測されますが、結果はご覧の通りで相手を舐めすぎたツケを払わされているわけです。
そもそもクーデター政権の成立がなければ戦争の理由すらなかった、その後もNATO加盟がなければロシア側のレッドラインを超えることはなかった、ドンバス地方のロシア系住民に対する殺戮がなければ、それをロシアが守ろうとする意義も存在しなかったはずです。戦争は決して急には始まりません。そこに至るまでには長い道のりがあり、戦争回避の選択肢を斥け続けた結果として開戦に至るものです。だから戦争は常に外交によって回避できる、軍事力に頼る場面は望まない限りは訪れないと私は断言しますが──そこで何らかの欲望を持って現実から目を背け続けているのが我が国の現状なのかも知れません。
ともすると軍拡には否定的で、外交による解決が可能であると従来は主張してきたはずの人でも、今回の戦争を前に宗旨替えしているケースは少なからず見受けられます。ウクライナを部隊にした戦争が始まるまでの経緯から徹底して目を背け、邪悪なロシアが一方的に攻め込んできたのだと、そうした世界観に浸って自らを慰めている人が自称ハト派の中にも目立つわけです。しかし「急にロシアが攻めてきた」という日米欧のプロパガンダを認めるならば、その帰結は軍事力による防衛しかなくなってしまいます。戦争の前段を「なかったこと」にしてしまえば、後は開戦あるのみなのですから。
真に平和を希求するのであれば、ウクライナひいてはそこに干渉してきた国々の過ちをこそ反省すべきではないでしょうか。そもそも何故ウクライナがこれほどまでにロシアを敵視するようになったかと言えば、ソ連崩壊後の経済停滞の中で都合の悪いことを隣国のせいにしてきた、ナショナリズムを不満のはけ口として政治が利用するようになったことが挙げられます(結果として2014年のクーデターに繋がったわけですが、しかるに日本では2022年の戦闘開始から全てが始まったかのようなミスリードが続けられています)。こうした点は日本も同様で、国民の不満を排他的ナショナリズムへと昇華させようとする動きは既に深く根付いているところです。隣国を憎み、隣国への警戒感を強めることが国是になったならば、そこで「平和」のために必要なのは何になるのでしょうか?
ウクライナではロシア寄りと見なされた大統領が、暴動によって追放されました。そして日本でも、少しでも中国寄りと見なされた政治家がどのような扱いを受けているかは思い起こされてしかるべきでしょう。隣国を嘲り敵視することで国民の喝采を集める、国内の反対派を攻撃し、隣国からの抗議は無視してひたすらにアメリカへすり寄る──これがウクライナのやってきたことであり、日本にも少なからず共通するところです。そんなウクライナの政治が日米欧の庇護によって成功を収めることは、世界にとってプラスでしょうか? むしろ誤った政治は罰されるべきで、そうなる前に日本はウクライナを他山の石とすべきなのだ、というのが私の考えです。