ツイッター担当者は、多かれ少なかれネット以前の価値観とツイッター的価値観の板挟みにあっているという話

 昨年末にツイッター担当者による大喜利対決であるvxh紅白ネタ合戦の審判を担当させて頂きました。
 これはもともとヴィレッジヴァンガードさんと東急ハンズさんのツイッターアカウントが、ツイッター上で大喜利対決を行ったことに始まり、その第二戦がその対決を見ていた周辺の企業ツイッターアカウントを巻き込む形で実施されたもの。
 詳細は下記のtogetterあたりを見て頂ければと思いますが、年末12月27日の17時に始まり、22時過ぎまで延べ5時間以上オンラインだけで続く不思議な企画となりました。
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 私自身はなんちゃって審査員だったのですが、個人的には非常に楽しませて頂いた企画でした。
 企業の公式アカウントが半日かけてオープンに大喜利大会やっちゃうとか、普通に考えたらありえないですよね。
 凄いです。
 で、実はそのネタ合戦の打ち上げが先週末に開催されたんですが、個人的に非常に衝撃を受けたのがあるアカウントの担当者の方に聞いた逸話。


 何でもそのアカウントは、もともと担当者の方が是非チャレンジしてみたいと上司にかけあって始めたものだったそうなんですが、始めたのが比較的早かったのもあり、フォロワー数が1000名ぐらいの段階で業界誌に取り上げられたんだそうです。
 
 当然その話を聞いて、「それは、きっと上司も喜んでくれたでしょ」と私も反応したんですが、実は反応はまったく逆。
 公式ツイッターを今すぐ止めろ、という話になってしまったんだそうです。
 何でも、その上司の方は自社の公式ツイッターが雑誌に載っていたのをみて、あらためてツイッターアカウントをサイトに見にいったそうなんですが、おそらくそこに雑談的な発言ばかりが並んでいるのをみてショックを受けてしまったんでしょう。
 まぁ、正直なところツイッターを初めて見る人には、良くある普通の反応と言えるかもしれません。
 
 企業の公式アカウントと言うからには、ウェブサイトの更新情報とかキャンペーン的な情報を投稿しているものと思いこんでいる方が、軟式アカウントの発言の数々を初めてみたら、まぁそれは戸惑いますよね。
 ただ、個人的に感動したのはその後の話。
 なんでもその担当者の方は、
 「今やめたら1000人以上のフォロワーの方々を裏切ることになるから、ツイッター止めるなら私も辞めます」
 と切り返したんだとか。
 凄いですよね。正直、自分だったら言えないな、と思ってしまいます。
(ちなみに、その後、無事に理解は得られているみたいで、その担当者の方は当然今もツイッターを担当されています。)
 私も仕事柄、マスメディアやマスマーケティングの価値観に慣れてしまった人が、ソーシャルメディア的フラットな世界に初めて直面したときに遭遇する戸惑いや混乱というのは嫌と言うほど見てきました。
 
 なにしろ、マスマーケティング的価値観とソーシャルメディア的価値観は大げさではなく180度まったく違います。
 テレビCMや新聞広告であれば一言一句推敲に推敲を重ねて研ぎ澄ませるんでしょうが、一般的にツイッター上で行われているのは利用者との会話で、アドリブや即興のリアクションの世界。
 一言一言プレスリリースのようにチェックしていたら、とても大勢の人との会話なんてできませんし、話を聞いている側も肩が凝ってしまうでしょう。
 企業のツイッター担当者の方々というのは、多かれ少なかれ、そんな価値観のギャップをまたぐことになります。
 そのギャップに、失言のリスクとか、会社のイメージがとか、いろんな課題や問題が出てくるわけですが。
 それぞれのツイッター担当者の人たちって言うのは、そういうリスクや問題を乗り越えたり、ぶつかったり、時には諦めたりしながら、日々チャレンジをしているんだなぁと、そんなことをしみじみ感じてしまった夜でした。
 個人的に、ツイッター紅白ネタ合戦で一番はまったネタは下記のネギ太ランド
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 画像見て頂ければ一目で分りますけど、これやってるの「米子市」という官公庁ですからね。
 担当者の方が直面する組織の壁は推して知るべし。
 これを実施されている担当者の方は本当に凄いと思います。
 企業がツイッターで個性を出す軟式アカウント的運用については、いろんな議論がありますし。
 正直な話としては、カトキチさんの末広さん退職によるアカウント移行のニュースなどを見ている限り、昨年大きく盛り上がった分、今年は確実にその反動としての議論がいろいろ出るんだろうなと感じています。
 当然、全ての企業が軟式アカウントを目指すのは不可能です。
 ただ、一方で紅白ネタ合戦に参加できるようなツイッター担当者がいる会社や、そういう活動が許容できる文化を持っている会社は、是非そういう組織と個人の狭間の限界を、是非がんばって広げていただきたいなぁとつくづく思います。