「人生で何をやりたいか」が決まるとき
2011年2月 3日(木) 7:15:53
やはりこの数日にお子さんが中学受験だった人が多いようで、一昨日の記事に反応をいろいろいただいた。ふいに昔の思い出を蘇らせた方も多かったようでツイッターでもいろんな話が飛び交っていた。泣けるもの多し。
自分の娘の受験の頃をもっと思いだそうと4年前の記事を読み返していたら、なんだか本当にせつなくなってしまった。そういえば「そっちの方がいい人生」っていう一昨日と同じ題名の記事も書いていた(これ)。あぁいろいろフラッシュバックするなぁ。
キットカットタクシーの話とかも書いたなぁ(これとこれ)
やっぱり毎日の記録を残しているといろいろな感情や場面がよみがえってきて良い。
ちなみに「受験直前のぬるい気分」という記事にこんなことを書いている。
試験受かって、そこそこいい学校行って、そこそこいい大学行って、そこそこいい会社に入っても、別に「そこそこいい人生となるわけではない」、と、サラリーマンを二十年強やって周囲をずっと見ていると心底わかってしまうところがあるわけで。
もう昭和時代の「いい大学×いい企業=いい人生」という幸福モデルはとっくに崩壊していたりする。禁欲的にがんばって競争に勝ってきて「いい大学×いい企業」を手に入れたのに相当つらそうにしてる人多いし、企業で上りつめたあげく謝罪したり捕まっちゃったり弾劾されたりって人も多いし、家庭が壊れている人も多い。どうもそういうのがいい人生ってヤツでもないって、みんな心の底ではわかっちゃっているのだ。
(中略)
ただ、受験にもふたつだけ意味があって。
ひとつは、自分が人生で何をやりたいかが決まっていない場合、そこそこいい学校・大学・会社に入っておいたほうが「つぶしがきく」のは確か。選択肢が狭まらないのは重要だ。選択を有利に先延ばしできる。
それと「ある時期ちゃんと努力をする」というのも後々の人生で大きくモノを言う。だから受験にかこつけて禁欲的に努力するのは推奨。受験勉強を通して社会生活に不可欠な論理構築力もつくし。
自分を振り返ると、「人生で何をやりたいか」がなんとなく定まってきたのは38〜40歳くらいである。おそい(笑)。でも選択肢が超多いこの時代、そんなに簡単に「やりたいこと」なんか決まらない。無数の芝生が青く見えるのだ(もしくはどの芝生も枯れて見える)。
しかも、会社とかでいろいろなことを経験したあとに「あ、もしかしたらこれこそがボクが『やりたいこと』なのかもしれない」とふんわり気づいたりする。結果論的に。だから「やりたいこと」が決まるのに時間がかかっている人は多いと思うし、人生80年時代、それでも遅いということはない。
昨晩、宣伝会議の「コピーライター養成講座」というところでコミュニケーション・デザインについての講義をしたが、そういえばそこでも講義後に質問された。「やりたいことが定まったのはいつですか?」と。 進路に悩んでいる学生さんだったが、正直に「30代後半から40歳くらい」と答えたら驚いてたっけ。彼から見たら永遠のように先の話。
でもね。
多少不本意でも、採用してもらった会社の仕事をちゃんとして「自分自身の実存をそこにねじこんでいく(by 内田樹)」のは大切なのだ。そうすると人生が思ってもみない方向に進み、狭く定まりかけていた世界が急に広く開け、忽然と「やりたいこと」に巡り会ったりする。で、そうやって実存的に巡り会ったものの方が、頭でっかちに考えていたビジョンよりずっと地に足がついていたりする。
いや、遠回りを勧めているのではなくて。
「不安に思う必要はあまりないよ」というだけです。若者よ 夢を持て!なんて煽る人も多いけど、いま夢が持ててなくても焦らなくてよいよ。どっかで出会うから。
どう進んでも、そっちの方がいい人生。そしてそれは意外とゆっくりやってくる。