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2011年5月30日
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小原篤のアニマゲ丼

「海の神兵」を知っていますか?

文:小原篤

写真:松竹ホームビデオから発売された「桃太郎 海の神兵」(同時収録「くもとちゅうりっぷ」)拡大松竹ホームビデオから発売された「桃太郎 海の神兵」(同時収録「くもとちゅうりっぷ」)

写真:1945年1月30日の朝日新聞に掲載された広告です拡大1945年1月30日の朝日新聞に掲載された広告です

 1945年公開の長編アニメ「桃太郎 海の神兵」の瀬尾光世監督が亡くなったことがわかりました。ご存命なら今年100歳を迎えるはずでした。しかし私が今お伝えできるのは、お亡くなりになっていること、ご葬儀はすでに済まされたこと、の二つだけ。事情があってそれ以上は確認できず、どうにも頼りない話ですみませんが、アニメ史に残る傑作をつくり上げた監督の訃報をお知らせしないわけにもいかず、ここに記した次第です。

 「海の神兵」は海軍省の依頼で松竹動画研究所が製作した、当時の日本アニメとしては破格の74分という史上最長の超大作。作画、撮影、録音など技術の粋を集め、応召や徴用でスタッフが次々と欠けていく中ようやく完成するも、公開は戦争末期の45年4月。都市は空襲、子どもたちは疎開、映画を見るどころじゃない世の中で、16歳の手塚治虫さんが「日本でもこんな見事な作品が作れるようになったのか」と焼け跡の映画館で感涙感激し、アニメ作りを志すきっかけとなったという逸話を残す作品です。まさに「そのときアニメ史が動いた」と言ってもいいのではないでしょうか。

 敗戦直後にフィルムが焼却処分され長く「幻の作品」とされてきましたが、84年にネガが見つかり39年ぶりに再公開された時には、「戦争中の大作アニメってどんなもん?」という好奇心で私も見に行きました。新聞や雑誌には「戦時下に作ったとは思えない完成度」「叙情性と機知にあふれ、国策映画という以上の内容の豊かさ」という評価の一方で、「軍国主義の戦意高揚映画をほめそやすのはいかがなものか」的な批判的な論調もあったと記憶しています。

 そうこの作品は、42年にオランダ領だったセレベス島(現インドネシア・スラウェシ島)に奇襲攻撃をかけて占領した海軍落下傘部隊の活躍を、桃太郎の鬼退治のお話を借りて少国民(子ども)に見せようと、海軍省後援、大本営海軍報道部指導により作られたのです。

 「そんなの関係ないじゃん」という方もいるかも知れませんが、成り立ちや背景を頭に入れた上で見た方がずっと面白くてためになる、というのが私の考え。改めて見返して、楽しくてよくできた映画だと感じ入ってしまいました。

 水兵服のイヌ、サル、キジ、クマ(なぜかクマもいるのです)が休暇で故郷の村に帰ってくるところから映画はスタート。ゆったりと穏やかな農村の描写は、はやくも長編の風格を漂わせます。サルの弟が川に落ち、イヌが体にロープを巻き付け高い崖から飛び込んで助けるハラハラシーンは、「お、落下傘アクションの伏線か」と思わせ、さらに次の和やかなシークエンスで、無事助かった弟とサルが空いっぱいに飛んでいくタンポポの綿毛を見上げます。

 ここで観客が、綿毛から空いっぱいの落下傘を連想するであろうと見越して、映画はサルのアップに爆音、警報、「降下用意!」の声を重ねます。そこから南洋の海岸にカットが変わり、ウサギやテナガザル(かな?)やゾウやサイが土木建設作業に力を合わせるミュージカルシーンへ。出来上がったのは格納庫。すかさず着陸する編隊、そしてサルやイヌを従え降り立つ桃太郎隊長!

 瀬尾監督は脚本も兼ねていますが、流れるような展開が見事です。段取り的なシーンや説明的なセリフやテロップなど使わず、映像と音声を連想的につなげて農村から南洋へジャンプ。もし観客の子どもたちが少々戸惑っても、曲と動きをシンクロさせた楽しいミュージカルシーンを用意して子どもの心をグッとつかんではなさない。そして、降下場面と並ぶこの映画のクライマックス、青空教室で「アイウエオの歌」(一度聞いたら忘れられない名曲)を歌うシーンがやって来ます。ちなみに音楽古関裕而、作詞サトウ・ハチローという豪華メンバーです。

 現地の動物たちにイヌが言葉を教えようとするが、彼らは「ウォッウォッ」とか「グワッグワッ」としかしゃべれず学級崩壊状態。そこへクマがハモニカを吹き、サルが「ア〜イ〜ウ〜エ〜オ〜」と歌い出すと、南洋の動物たちが和して大合唱。「カ〜キ〜ク〜ケ〜コ〜」と歌い続け、そのまま基地での労働シーンになり、ワニの背で洗濯したシャツをカンガルーが干し、クマの子やヒョウの子がイモを切り、サルの兵隊は銃剣の手入れにいそしみます。

 ご紹介した二つのミュージカルシーンが描いているのは、植民地化して被支配民族を基地建設に動員し、彼らの文化を無視して皇民化教育を施す、という日本の侵略行為にほかならないのですが、この大変にナマ臭いというかキナ臭い題材が、とびっきり明るく朗らかな音楽により実に楽しいシーンとなり、背景が分かっていながら「どうぶつさんたちかわいいなー、ちからをあわせてえらいなー」とつい思ってしまう。ギャップにクラクラすると同時に、文化の持つ力(危うさも含めて)にドキリとさせられます。この逆説というか矛盾というか、肯定と否定を同時に抱え込むことが、今この映画を見る醍醐味です。

 このあと映画は、「この地は東方の神の兵によって解放される」と予言する優美な影絵の昔話風シークエンス(担当したのは名作「くもとちゅうりっぷ」の政岡憲三監督で、瀬尾監督の師)などをはさんで、落下傘部隊の活躍をその出撃準備段階からたっぷりと見せます。空に落下傘の花が咲くシーンには弦とハープの優美な音楽をつけ、序盤のタンポポのシーンと呼応させる巧みさ。

 頭にツノをつけた鬼ケ島の将校(英語を喋る)が、桃太郎隊長にひれ伏すように無条件降伏を飲むというイカニモなシーンの直後、この映画は再びマジックを見せてくれます。場面がパッと切り替わるとそこは冒頭の村。子どもたちが教練ごっこで次々と木の上から飛び降りていきます。ちょっと怖がっていたサルの子も落下傘部隊よろしくエイッ。ここまではまあほほえましいのですが、カメラが切り替わって地面が映るとそこには米国本土が棒きれか何かで描いてある。ワーイと奥へ走っていく子らの上には見守るように富士の山がそびえて、「完」となります。

 またも説明や段取りを排して鮮やかに南洋から農村へジャンプ。パレードだの万歳三唱だの提灯行列だのといった派手な祝勝的シーンではなく、無邪気に(限定付きの「無邪気」ですが)遊ぶ子どもの姿で終わらせながら、そこに「米本土攻撃」などというまたナマ臭くてキナ臭いイメージがはさみこまれる。戦争ごっこに興じた当時の子どもならこのくらいの遊びはしたのかも知れませんが、いま見ると不意をつかれてドキリとさせられます。

 勝った勝った少国民も後に続け、と勇ましく鼓舞する作品ではなく、むしろ映画が放つ雰囲気はのどかで叙情的です。戦意高揚メッセージを「のどかさ」で封じ込めようとしたのか、「のどかさ」でくるんで差し出したのか。このほかにも製作当時のご苦労とか監督にはいろいろおうかがいしたいことがあったのですが、それもかなわぬこととなりました。

 戦後、瀬尾太郎の名で絵本作家となった監督は、「海の神兵」再公開時のインタビューでこうふり返っています。「積極的に時局に便乗したわけではない。今の若い人には理解してもらいにくいが、拒否できなかった」(84年8月17日・毎日新聞「ひと」欄)

 「桃太郎 海の神兵」は残念ながらVHSソフトが出ただけでDVDはなし。ソフトは持ってるがデッキを捨ててしまったバカな私は今回、見るのに苦労しました(とあるネットカフェの店員は「VHSって何ですか?」だって)。そんなわけで、本欄で2週続けてなかなか見る機会のない作品を取り上げてしまいましたが、ゴメンナサイ。

プロフィール

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小原 篤(おはら・あつし)

1967年、東京生まれ。91年、朝日新聞社入社。99〜03年、東京本社版夕刊で毎月1回、アニメ・マンガ・ゲームのページ「アニマゲDON」を担当。2010年10月から名古屋報道センター文化グループ次長。

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