思ったこと | 震災後の海おんなのブログ

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震災からの記録です。

NHKを見ていて、常にテロップが流れているのをご存知でしょうか?

ニュースを見ていても、ドラマを見ていても上と左に一日中表示されている。もしかして被災地だけに流れるようになっているのかも、と気がついたのは最近でした。

それは、り災証明の交付、家屋撤去の有無、仕事の相談、義援金の交付など。どれも生活に必要な情報。

現状としては、仮設住宅がだんだん建ち始め、第一次の入居が始まっているところです。仮設住宅は住んでいる地域によって違いますが、1人だと1DK(エアコン、電子レンジ、洗濯機、炊飯器、冷蔵庫完備、トイレ、風呂付)で2年まで住むことができ、家賃は無く、ガス代、水道代、電気代は各自負担。人数が多くなると、部屋数が増えます。

さらに、自力でアパートを探し入居、もしくは県や国の住宅(アパート)に入居した場合、二年まで家賃の全額(または一部)免除、岩手県は独自に家賃を全額補助し、敷金礼金も検討中だという。

義援金の支払いは4月の末に手続き済みであれば、もう振込まれており、金額は、全壊で35万円、半壊18万円(これは岩手、宮城、福島同じ)で緊急生活支援金なるものは2万円~別途支給される。

※亡くなった方へも支給されていますが、それは記載していません。

そして、家をリフォームしてすむ場合、50万円~の支援金が出る。

家財、地震保険も支払われているそうです。

毎月のいろいろな支払いもほとんど優遇措置がとられ、免除もしくは減額されています。

ここまで読んで、どう思うでしょうか?疑問ばかりなのは答えが出ないから。どうしても被災者目線で考えてしまいます。

今、私の地域だけで問題になっているのは、仮設住宅に入っている人がお米などを避難所からもらっている、これはどう思いますか?

避難所の人は怒っています。仮設に入れたのに・・・と。仮設住宅の人も怒ってます。仮設に入ったからといって生活が良くなったわけじゃない・・・と。あやうく喧嘩になりそうでした。

ほとんどのスーパーやお店は2ヶ月経った今、ほとんど開いています。でも買いに行けない(行かない)、どうしてなのか。


心配なのです。復興していくことに。

私が思ういくつかの心配事について書きます。

まず、仕事がない。会社が無くなってしまった。もしくは再建する見通しが立たない。心配になります。私もハローワークに行きました。すごい人でした。説明されたのは、職場を辞めていなくても(いずれ再建してまた働ける状態にあっても)、失業保険が給付される、ということでした。そして被災者対象求人というものが設けられ、全国から求人がきていました。

普段の生活の心配もありました。義援金が無くなってしまったら。仮設住宅に入ることができても2年後どうしよう、食べ物は?など。実際に避難所に行ってみると、地域の人の炊き出しや自衛隊による炊き出しが行われています。好き嫌いをしなければ、もらって食べることができます。(苦手なおかずで、ご飯だけください、と言って断られた事があったようです)支援物資で食材は来ていますので当分大丈夫だと思います。(とてもありがたいです)

そして自衛隊の方が作ってくれたお風呂に入ることができます。かなり広いです。20人ほどが入れるようです。近くのテントでは、やはり自衛隊の方が、衣服、下着、衛生用品、お菓子、飲み物、食べ物、などをくれます。

いつも入りに来る人は、下着をもらいお風呂に入り、帰りにトイレットペーパーなどをもらっていくと言っていました。遠くの人にはバスも出ています。

それでも心配なのです。漠然とした不安としか言いようがありません。また津波が来たら、停電になり、食料不足になったら・・・キリがないのです。


今の生活を私は贅沢だと感じてしまうのです。何でももらえることができ、欲しい物は買える。人任せでとても居心地が良いです。

とてもひどい経験をしました。元に戻るには何年かかるのか、気が遠くなります。すぐには立ち直れません。

解決しないのです。気持ちやいろいろな事が。

でも、いつまでも支援されている立場ではなく、助けてほしい人がいるんじゃないか、と考えたいです。


親を亡くした子供、子供を亡くした親。どちらも長期にわたる支援が必要です。特に子供はすぐに心を開いてくれません。がんばろうとします。私はその姿に泣いてしまいます。

町全体が壊滅したところもあります。岩手県陸前高田市では浄水場が壊れ、2ヶ月経った今でも水道は復旧していません。他にも仮設住宅の建設が遅い地域があります。


怖いけど一歩前に踏み出して、自力で生活をしてみましょう。そして次の支援を考えてみたいのです。