「歴史的仮名遣」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
Tenko (会話 | 投稿記録)
大幅に組替修正、加筆。
1行目: 1行目:
'''歴史的名遣'''(れきしてきかなづかい)とは[[仮名遣]]の一種である。復古仮名遣とも呼ばれ、また[[現代仮名遣い]]と対比し'''旧仮名遣'''もしくは'''正仮名遣'''とも呼ばれる。[[契沖仮名遣]]を発展させ、[[明治]]期以降、[[第二次世界大戦]]後の[[国語国字問題|国語国字改革]]による「現代かなづかい」の発表までのほとんどの期間で公教育の場で仮名遣いして教えられてきたものである。主して仮名発明当初[[平安時代|平安]]前期の[[発音]]・表記を基現代仮名遣い対してより語源主義・文法主義る。
'''歴史的名遣'''(仮名遣、れきしてきかなづかひ/かなづかい)とは[[仮名遣]]の一種である。復古仮名遣とも呼ばれ、また[[現代仮名遣い]]と対比し'''旧仮名遣'''もしくは'''正仮名遣'''とも呼ばれる。現代仮名遣いに比して語源主義・文法主義あり、すなはち発音に比して変化しにくい、あるいは変化することのない語源、文法を基するため歴史的変化による影響を受けにくい利点があ、現在も一部の人々に使用されている。
発音に対して変化しにくい、あるいは変化することのない語源、文法を基準とするため、歴史的変化による影響を受けにくい利点があり、現在でも一部の人々に使用されている。


歴史的假名遣の典拠は多く設定することができるが、一般には契沖による[[契沖仮名遣]]を修正・発展させた[[明治]]期以降の学校教育で用いられた物であり、平安初期の表記を基点としている。[[第二次世界大戦|戦後]]昭和二十一年に[[国語国字問題|国語国字改革]]の流れによって告示された「現代かなづかい」まで、国語表記に際して公教育の場で仮名遣として教えられていた。現在の公教育では古典教育でのみ使用される。
== 内容 ==
現代仮名遣と比べて以下の様な特徴がある。
* 「ゐ」(ヰ)、「ゑ」(ヱ)を使用する。
* 連濁・複合語以外でも「ぢ・づ」を使用する。
* 助詞以外でも「を」を使用する。
* 拗音・促音を小字で表記しない(外来語は別)。
* 語中語尾の「はひふへほ」は「ワイウエオ」に発音が変化([[ハ行転呼]])したが、歴史的仮名遣では発音の変化に関係なく「はひふへほ」と表記する。
* 「イ」の発音に対し「い / ひ / ゐ」の三通りの表記がある。
* 「エ」の発音に対し「え / へ / ゑ」の三通りの表記がある。
* 「オ」の発音に対し「お / ほ / を」の三通りの表記がある。
* 長音の表記に独自の規則がある。
* [[活用語]]の活用語尾の仮名遣は歴史的な[[形態論|形態]]の表現を発音より優先する。 - 例:「笑オー」(「笑う」の未然形+助詞「う」。歴史的には、「笑はむ」→「笑ワウ」→「笑オー」のように変化したもの)を現代仮名遣では「笑おう」と表記し、これに合致させるために後付け的に、「笑う」の未然形は「笑わ/笑お」の二種類であるとした。いっぽう歴史的仮名遣では未然形はあくまで「笑は」のみであり、「笑おう」は「笑はう」となる。ここでは「む」を「う」に置き換えるにとどめ、それ以外の音変化(「は→ワ」および「ワウ→オー」)は綴りに現れていない。
* 発音に対する仮名遣の候補が複数ある場合、どれを選択するかは語源や古くからの慣例によって決められる。語源研究の進歩により、正しいとされる仮名遣が変る事もある。 - 例:山路は「やまぢ」。小路は「こうぢ」。道のチと同根だから。また、[[アジサイ|紫陽花]]は「あぢさゐ」となる。語源は諸説あって不明だが、「あぢさゐ」の表記を用いる。
* 歴史的仮名遣の中にも揺れのあるものが存在し、これを疑問仮名遣とする事がある。 - 現在では[[訓点語学]]や[[上代語]]研究の発達により、大半は正しい表記(より古い時代に使用=語源に近いと考察される)が判明している。ただし誤用による仮名遣のうち、特に広く一般に使用されるものを[[許容仮名遣]]とすることがある。例:「或いは / 或ひは / 或ゐは」→「或いは」。「用ゐる / 用ひる」→「用ゐる」。「つくえ / つくゑ」(机)→「つくえ」。
* 「泥鰌」を「どぜう」としたり、「知らねえ」を「知らねへ」としたりするのは歴史的仮名遣ではなく[[江戸時代]]の俗用表記法であり、特にその根拠はない。


本稿では、一般的な仮名による[[正書法]]の意味では「仮名遣」、思想の異なる二系統を「歴史的假名遣」「現代仮名遣い」として、表記を統一する。「現代かなづかい」とする場合は「現代仮名遣い」以前の物である。
=== 字音仮名遣など ===
漢字音の古い発音を表記するためにつくられた仮名遣いを[[字音仮名遣]]と呼び、広義の歴史的仮名遣にはこれも含む。ただし字音仮名遣は時代によってその乱れが激しく定見を得ないものも多いうえ、和語における歴史的仮名遣とは体系を別にするものであるから同列に論ずることはできない。


==歴史==
歴史的仮名遣における字音仮名遣の体系的な成立はきわめて遅く、江戸期に入って[[本居宣長]]がこれを集大成するまで正しい表記の定められないものが多かった。明治以降、現代仮名遣いの施行まで行われた仮名遣ではもっぱらこれによっている。
[[仮名遣]]も参照。時代ははっきりとはしないので、だいたいの時代区分で流れを摑んでほしい。


*国語表記の始まった上代の萬葉假名では、[[上代特殊仮名遣]]が行われる。
以上のような成りたちから、歴史的仮名遣の正当性を主張する論者にも字音仮名遣を含める人([[三島由紀夫]])と含めない人([[福田恒存]]・[[丸谷才一]])とがいる。
*平安初期に仮名文字が発展して萬葉假名が衰頽する。同時に上代特殊仮名遣も衰頽する。
*平安中期になると、[[天地の歌]]にみられるような、[[ヤ行エ|ヤ行のエ]]の区別が上代特殊仮名遣の衰頽と共に薄れる。
*平安中期から後期にかけて大規模な音韻の変化「ヰ・ヱ」の「イ・エ」への同化があったと推察される。
:此の頃から表記が乱れ始める。何らかの規範、仮名遣を必要とする動きが生まれる。
*平安後期に[[藤原定家]]の[[拾遺愚草]]で定家仮名遣が示される。辞書的な仮名遣であった。
*定家の命によって源親行が[[假名文字遣]]を清書、孫の行阿がそれを補充整理して増補された[[行阿仮名遣]]を定める。
:江戸時代までは、これらの仮名遣が整理されて遣われていた。
*江戸初期の[[元祿]]時代に契沖が[[和字正濫抄]]を著し、行阿までの仮名遣を改め、[[契沖仮名遣]]を定める。古典研究により定めた点で画期的であった(国文学の原流となる)。
:契沖は「語義の書き分け」のためにあると結論した。譬えば「居(ゐ)る」と「入(い)る」など。[[時枝誠記]]博士はこれを「語義の標識」と呼んだ。
*江戸中期には[[楫取魚彦]]や[[本居宣長]]が[[契沖仮名遣]]を修正する。ここに歴史的假名遣は表記の上でほぼ完成の域に達する。
*同時に此の頃に[[本居宣長]]は[[字音仮名遣]]を定める。字音仮名遣の賛否は、現在の歴史的假名遣論者でも分かれる。
*江戸後期には本居宣長の弟子[[石塚龍麿]]が「[[古諺清濁考]]」「[[假名遣奧山路]]」を著し、上代特殊仮名遣の存在が明らかとなる。
*[[奧村榮實]]が[[古言衣延辨]]で、石塚龍麿による上代特殊仮名遣を、過去の発音の相違によると推定する。
:上代特殊仮名遣の研究は大正六年に[[橋本進吉]]博士が「帝國文學」で発表、昭和六年九月に「上代の文獻に存する特殊の假名遣と當時の語法」を発表、昭和十七・八年ころには凡そ国文学の中で認められた。
*明治時代になって公教育では以上の流れを汲む仮名遣を採用する。歴史的假名遣とは契沖仮名遣と字音仮名遣であった。
*明治三十三年に表音化の動きがあるも、反対にあって頓挫する。三十三式とも呼ばれる。[[臨時仮名遣調査委員会]]。
*昭和十七年に橋本進吉博士が「表音的假名遣は假名遣にあらず」を発表する。
:昭和に入ると、橋本博士や時枝博士によって、「歴史的假名遣」は「語」に基づいて「語」を綴るものと定められ、「語義の標識」はその結果であるとして否定される。
*昭和二十一年に一連の国語改革の流れにのって「歴史的假名遣」は古典を除いて公教育から姿を消し「現代かなづかい」が公示される。
:ほぼ同時期にローマ字教育が始まる。国語改革は国語審議会の答申により内閣が閣議決定した。
*昭和六十一年に「現代かなづかい」は「現代仮名遣い」へと修正される。


そして現在に至るが、現在でもどちらがよいか、どのような仮名遣が理想かで論争が続いている。
* 「くわ」「ぐわ」という表記は、現在では「カ」「ガ」の発音を表す。
* ア段+「う」「ふ」という表記は、現在では「オー」の発音を表す。
* イ段+「う」「ふ」という表記は、現在では「ユー」の発音を表す。
* エ段+「う」「ふ」という表記は、現在では「ヨー」の発音を表す。
* エ段+「い」という表記は、現在では「エー」「エイ」の発音を表す。
* オ段+「う」「ふ」という表記は、現在では「オー」の発音を表す。
* 明治以降、外来語の特殊表記として以下の方法が考え出された。
** 「うぃ」「うぇ」を「ウヰ」「ウヱ」等と表記する。
** 「うぃ」「うぇ」を「ヰ」「ヱ」等と表記する。
** 「ヴァ」を「ワ゛」(ワに濁点)と表記する。

== 歴史 ==
歴史的仮名遣は[[契沖]]が[[和字正濫抄]]([[1695年]])以降の諸著作で、[[日本書紀]]・[[古事記]]・[[万葉集]]からだいたい平安時代中期以前の仮名遣い用例に即した仮名遣いを標榜したのにはじまる。この立場は[[楫取魚彦]]や[[本居宣長]]などの[[国学者]]に受けつがれ、理論づけがなされていった。また[[明治維新]]後、政府は法案に歴史的仮名遣いをもちいるようになり、公教育にも導入されたことにより、それまで国学者の間でのみもちいられていたこの仮名遣いは公的なものとされていく。しかし、その非表音的立場は幾度となく批判され、ついに[[1946年]]にハ行音転呼などを反映させた「現代かなづかい」が公教育にもちいられるようになったことで、限られた場面でのみ使用される仮名遣いとなっていった。


=== 背景 ===
=== 背景 ===
48行目: 42行目:


=== 明治以降 ===
=== 明治以降 ===
[[明治維新]]前後以来、国語の簡易化が[[表音主義]]者によって何度も主張された。それらは[[漢字]]を廃止して[[アルファベット]]([[ローマ字]])や仮名のみを使用するもので、中には日本語の代りに[[フランス語]]を採用するものもあった。表記と発音とのずれが大き過ぎる歴史的名遣の学習は非効率的である、表音的仮名遣を採用することで[[国語教育]]にかける時間を短縮し、他の学科の教育を充実させるべきであると表音主義者は主張した。これに対して[[森鴎外]]や[[芥川龍之介]]といった文学者、[[山田孝雄]]ら国語学者の反対があった。民間からの抵抗も大きく、戦前は表音的仮名遣の採用は見送られた。
[[明治維新]]前後以来、国語の簡易化が[[表音主義]]者によって何度も主張された。それらは[[漢字]]を廃止して[[アルファベット]]([[ローマ字]])や仮名のみを使用するもので、中には日本語の代りに[[フランス語]]を採用するものもあった。表記と発音とのずれが大き過ぎる歴史的名遣の学習は非効率的である、'''表音的仮名遣を採用することで[[国語教育]]にかける時間を短縮し、他の学科の教育を充実させるべきである'''と表音主義者は主張した。これに対して[[森鴎外]]や[[芥川龍之介]]といった文学者、[[山田孝雄]]ら国語学者の反対があった。民間からの抵抗も大きく、戦前は表音的仮名遣の採用は見送られた。


敗戦直後、[[連合国軍最高司令官総司令部]](GHQ)の民主化政策の一環として来日した[[アメリカ教育使節団]]の勧告により政府は表記の簡易化を決定、[[国語審議会]]の検討による「現代かなづかい」を採用、内閣告示で実施した。以来、この新しい仮名遣である「現代かなづかい」(新仮名遣、新かな)に対して歴史的名遣は'''旧仮名遣'''(旧かな)と呼ばれる様になった。なお[[漢字制限]]も同時に為され、[[当用漢字]](現・[[常用漢字]])や[[人名用漢字]]の範囲内での表記が推奨され、「まぜ書き」と呼ばれる新たな表記法が誕生した。
敗戦直後、[[連合国軍最高司令官総司令部]](GHQ)の'''民主化政策'''の一環として来日した[[アメリカ教育使節団]]の勧告により政府は'''表記の簡易化'''を決定、[[国語審議会]]の検討による「現代かなづかい」を採用、内閣告示で実施した。以来、この新しい仮名遣である「現代かなづかい」(新仮名遣、新かな)に対して歴史的名遣は'''旧仮名遣'''(旧かな、舊假名)と呼ばれる様になった。


なお[[漢字制限]]も同時に為され、[[当用漢字]](現・[[常用漢字]])の範囲内での表記が推奨され、「まぜ書き」や「表外字の置換え」と呼ばれる新たな表記法が誕生した。当用漢字以後は[[人名用漢字]]が司法省(法務省)により定められ、漢字制限はJISも含めて渾沌とした物となっている。歴史的假名遣論者では多く漢字制限にも反撥することが多い。福田恆存などは、全ては国字ローマ字化のためである、漢字制限に際しては改革案がCIEの担当官ハルビン氏によって「傳統的な文字の改變は熟慮を要する」一蹴されたにも拘らず断行した、と糾弾している(後述)。
この国語改革に対しては、批評家・劇作家の[[福田恆存]]が『私の國語教室』を書いて現代仮名遣の論理的な矛盾を衝き、徹底的な批判を行った。現代仮名遣は、表音的であるとするが一部歴史的仮名遣を継承し、完全に発音通りであるわけではない。助詞の「は」「へ」「を」を発音通りに「わ」「え」「お」と書かないのは歴史的仮名遣を部分的にそのまま踏襲したものであるし、「え」「お」を伸ばした音の表記は歴史的仮名遣の規則に準じて定められたものである。


[[仮名遣]]を参照。歴史的假名遣を批判する場合、歴史的假名遣論者からも批判があがることがあるが、主に字音仮名遣に対してである。
また福田は「現代かなづかい」の制定過程や国語審議会の体制に問題があると指摘した。その後、国語審議会から「[[表意主義]]者」4名が脱退する騒動が勃発し、表音主義者中心の体制が改められることとなった。その結果、[[1986年]]に内閣から告示された「現代仮名遣い」では「歴史的仮名遣いは、我が国の歴史や文化に深いかかわりをもつものとして尊重されるべき」(「序文」)であると書かれるようになった。


===現代かなづかいへの批判===
現代仮名遣いは戦後速やかに定着し、1970年代以降は、小説や詩のほとんどが現代仮名遣いで書かれるようになっている。しかし、不完全な現代仮名遣の見直しを含む国語改革と歴史的仮名遣の復権を主張する人は今も残る。現存の作家では[[阿川弘之]]、[[丸谷才一]]、[[大岡信]]、[[高森明勅]]等、学者では[[小堀桂一郎]]、[[中村粲]]、[[長谷川三千子]]等がそれであり、[[井上ひさし]]や[[山崎正和]]にも歴史的仮名遣によって発表された著作がある。
この国語改革に対しては、批評家・劇作家の[[福田恆存]]が『私の國語教室』を書いて現代仮名遣いの論理的な矛盾を衝き、徹底的な批判を行った。現代仮名遣いは、表音的であるとするが一部歴史的假名遣を継承し、完全に発音通りであるわけではない。助詞の「は」「へ」「を」を発音通りに「わ」「え」「お」と書かないのは歴史的仮名遣を部分的にそのまま踏襲したものであるし、「え」「お」を伸ばした音の表記は歴史的仮名遣の規則に準じて定められたものである。
また最近では個人がインターネット上に文章を発表することが可能となっているため、今日でも一部では歴史的仮名遣いが使用されている状況が窺われる。


また福田は「現代かなづかい」の制定過程や国語審議会の体制に問題があると指摘した。その後、国語審議会から「[[表意主義]]者」4名が脱退する騒動が勃発し、表音主義者中心の体制が改められることとなった。[[1986年]]に内閣から告示された「現代仮名遣い」では「歴史的仮名遣いは、我が国の歴史や文化に深いかかわりをもつものとして尊重されるべき」(「序文」)であると書かれるようになった。
なお現代仮名遣は原則として[[口語文]]に就いてのみ使用されるものであるので、[[文語文法]]によって作品を書く[[俳句]]や[[短歌]]の世界においては歴史的仮名遣の方が一般的である。


===歴史的仮名遣の現在===
現代仮名遣いは戦後速やかに定着し、1970年代以降は、小説や詩のほとんどが現代仮名遣いで書かれるようになっている。しかし、不完全な現代仮名遣いの見直しを含む国語改革と歴史的假名遣の復権を主張する人は今も残る。現存の作家では[[阿川弘之]]、[[丸谷才一]]、[[大岡信]]、[[高森明勅]]等、学者では[[小堀桂一郎]]、[[中村粲]]、[[長谷川三千子]]等がそれであり、[[井上ひさし]]や[[山崎正和]]にも歴史的假名遣によって発表された著作がある。また最近では個人がインターネット上に文章を発表することが可能となっているため、今日でも一部では歴史的假名遣が使用されている状況が窺われる。

なお現代仮名遣いは原則として[[口語文]]に就いてのみ使用される、古典文化には干渉しないとしたため、[[文語文法]]によって作品を書く[[俳句]]や[[短歌]]の世界においては歴史的假名遣の方が一般的である。

==概要==
ここでは主に歴史的假名遣だけを中心とするが、[[現代仮名遣い]]との比較は[[仮名遣]]も参照。

===理念===
歴史的假名遣の理念は「'''語に従う'''」ことである。文字を遣いわける方法であるとか、言葉を書き分けるなどは結果であって、目的ではない。

{{quotation|(一)<small>假名遣といふ語は、本來は假名のつかひ方といふ意味をもつてゐるのであるが、現今普通には、そんな廣い意味でなく、「い」と「ゐ」と「ひ」、「え」と「ゑ」と「へ」、「お」と「を」と「ほ」、「わ」と「は」のやうな同音の假名の用法に關してのみ用ゐられてゐる。さうして世間では、これらの假名による國語の音の書き方が即ち假名遣であるやうに考へてゐるが、實はさうではない。これらの假名は何れも同じ音を表はすのであるから、その音自身をどんなに考へて見ても、どの假名で書くべきかをきめる事が出來る筈はない。それでは假名遣はどうしてきまるかといふに、實に語によつてきまるのである。「愛」も「藍」も「相」も、 その音はどれもアイであつて、そのイの音は全く同じであるが、「愛」は「あい」と書き「藍」は「あゐ」と書き「相」は「あひ」と書く。同じイの音を或は「い」を用ゐ或は「ゐ」を用ゐ或は「ひ」を用ゐて書くのは、「愛」の意味のアイであるか、「藍」の意味のアイであるか、「相」の意味のアイであるかによるのである。單なる音は意味を持たず、語を構成してはじめて意味があるのであるから、假名遣は、單なる音を假名で書く場合のきまりでなく、語を假名で書く場合のきまりである。<br />
この事は古來の假名遣書を見ても明白である。例へば定家假名遣といはれてゐる行阿の假名文字遣は「を」「お」以下の諸項を設けて、各項の中にその假名を用ゐるべき多くの語を列擧してをり、所謂歴史的假名遣の根元たる契沖の和字正濫抄も亦「い」「ゐ」「ひ」以下の諸項を擧げて、それぞれの假名を用ゐるべき諸語を列擧してゐる。楫取魚彦の古言梯にいたつては、多くの語を五十音順に擧げて、一々それに用ゐるべき假名を示して、假名遣辭書の體をなしてゐるが、辭書はいふまでもなく語を集めたもので、音をあつめたものではない。これによつても假名遣といふものが語を離れて考へ得べからざるものである事は明瞭である。<br />
表音的假名遣といふものは、國語の音を一定の假名で書く事を原則とするものである。その標準は音にあつて意味にはない。それ故、如何なる意味をもつてゐるものであつても同じ音はいつも同じ假名で書くのを主義とするのである。「愛」でも「藍」でも「相」でもアイといふ音ならば、何れも「あい」と書くのを正しいとする。それ故どの假名を用ゐるべきかを定めるには、どんな音であるかを考へればよいのであつて、どんな語であるかには關しない。勿論表音的假名遣ひについて書いたものにも往々語があげてある事があるが、それは只書き方の例として擧げたのみで、さう書くべき語の全部を網羅したのではない。それ以外のものは、原則から推して考へればよいのである。然るに古來の假名遣書に擧げた諸語は、それらの語一つ一つに於ける假名の用法を示したもので、そこに擧げられた以外の語の假名遣は、必ずしも之から推定する事は出來ない。時には推定によつて假名をきめる事があつても、その場合には、音を考へていかなる假名を用ゐるべきかをきめるのではなく、その語が既に假名遣の明らかな語と同源の語であるとか、或はそれから轉化した語であるとかを考へてきめるのであつて、やはり箇々の語に於けるきまりとして取扱ふのである。<br />
以上述べた所によつて、古來の假名遣は(定家假名遣も所謂歴史的假名遣も)假名による語の書き方に關するきまりであつて、語を基準にしてきめたものであり、表音的假名遣は假名による音の書き方のきまりであつて、音を基準としたものである事が明白になつたと思ふ。</small>
|表音的假名遣は假名遣にあらず(橋本進吉/昭和十七年八月)}}

「'''語に従う'''」とは、「音」が「語」を構成し認められるにつれ、'''「表音文字」であった仮名文字'''が'''観念に於いて「[[表語文字]]」或いは「[[表意文字]]」'''へと変わる(則ち「單なる音は意味を持たず、語を構成してはじめて意味がある」)ことを述べる。また定家仮名遣が辞書的であると述べているが、「辭書はいふまでもなく語を集めたもので、音をあつめたものではない」ことから、歴史的假名遣は誕生当初から語を綴ることを目的としたと橋本博士は述べる。

一方で仮名の表音性は重視すべきことかと云えばそうではないと論じる。現代仮名遣いが表音を本則とするのに際して、歴史的假名遣は表語(表意)を本則とするのである。「歴史的假名遣」の本質は、「國語の音をいかなる假名によつて表はすかといふ事が問題となつたのでなく、もとから別々の假名として傳はつて來た多くの假名の中に同音のものが出來た爲、それを如何に區別して用ゐるか〔同上(5)より抜萃〕」が問題になったのであり、「文語(文字言語)」や「口語(音声言語)」に基づく仮名遣は「仮名遣」としては別の物なので注意すべきだと警告した。

留意しておきたいのは、音を明確に示したい場合に表音的仮名遣を遣う余地が歴史的假名遣にはある点である。歴史的假名遣では、[[擬音]]や[[方言]](方言の読みを示したい乃至語源がよくわからない場合、狭義の[[音便]]を含む)は飽くまで「音」であるから「音の書き方のきまり」である表音的な假名遣を用い、それが「語」になって初めて「語を書くきまり」である歴史的假名遣を遣うとよい、と橋本博士は述べている(昭和十五年の「國語の表音符號と假名遣」も参照)。歴史的假名遣では表音的な表記ができないというのは誤謬であろう。

===表音か否か===
{{quotation|(五)《前略》假名遣に於ては、その發生の當初から、假名を單に音を寫すものとせずして、語を寫すものとして取扱つてゐるのである。さうして假名遣のかやうな性質は現今に至るまでかはらない事は最初に述べた所によつて明かである。然るに今の表音的假名遣は、專ら國語の音を寫すのを原則とするもので、假名を出來るだけ發音に一致させ、同じ音はいつでも同じ假名で表はし、異る音は異る假名で表はすのを根本方針とする。即ち假名を定めるものは語ではなく音にあるのである。これは、假名の見方取扱方に於て假名遣とは根本的に違つたものである。かやうに全く性質の異るものを、同じ假名遣の名を以て呼ぶのは誠に不當であるといはなければならない。これは發生の當初から現今に至るまで一貫して變ずる事なき假名遣の本質に對する正當な認識を缺く所から起つたものと斷ぜざるを得ない。《後略》|表音的假名遣は假名遣にあらず(橋本進吉/昭和十七年八月)}}

以上は「表音的假名遣」が「仮名遣」ではないとするその結論の一部である。なお「現代語の語音に基づく」べしとする後述の「現代かなづかい」では、多く「歴史的假名遣」が「古代語の音に基づいている」とされ、橋本博士の主張とは異なる。

{{quotation|《前略》いわゆる歴史的かなづかいは、'''古代語'''の語音に基づいている。すなわち、旧かなづかいは、古代語を書いていたものであるが、'''現代かなづかい'''は、'''現代語'''を書くことにするということである。《後略》
|新かなづかい法の学的根拠([[金田一京助]])抜萃}}

ここは歴史的假名遣論者と現代仮名遣い(表音主義)論者との決定的な違いであるが、福田恆存はこのことを「仮名の音節文字という一面しかみていない」と糾弾する。歴史的假名遣からみれば仮名の表音性は便利であるけれども、「仮名遣」は「語」を綴らねばならないので、音ではなく語に基づかねばならない。歴史的假名遣は語に基づく事を理想とするけれども、時には擬音語や音便のように一定の表記が無いために音に基づく必要があり、此の時に仮名が音節文字である現実を利用すればよいと福田は主張した。

同様の事を[[国語審議会]]主査委員であり、主査委員二〇名のうち唯一「現代かなづかい」制定に反対した時枝博士は次のように述べる。

{{quotation|云はば、表音主義は表記の不斷の創作とならざるを得ないのである。これは、古典假名遣の困難をば救はうとして、更に表記の不安定といふ別個の問題をひき起こすことになるのである《中略》<br />
傳統は、單に無意味な文字の固定を、ただ傳統なるが故に守らうとするやうなものではない。本來表音的文字として使用せられた假名は、時代と共に、表音文字以上の價値を持つものとして認識せられて來る。それは觀念の象徴として、例へば、助詞の「を」「は」「へ」の如きはその最も著しいものであつて、ここに於いて文字發達史の通念である表意文字より表音文字への歷史的過程とは全く相反する現象が認められるのである。
|國語審議會答申の<現代かなづかい>について([[時枝誠記]]/國語と國文學・二四ノ一・二/[[至文堂]]・昭和二十二年)}}

時枝博士は、国語審議会の委員から違和感が多いからと妥協することになった「現代かなづかい」共通の表記「を」「は」「へ」の例をあげて、'''観念では語のうちに表音より表意が優位'''であると、現象のうちに'''歴史的假名遣は、表音(古代の音韻)ではなく、表意に基づく'''物であると述べた。

==表記法==
歴史的假名遣を綴る上で実際に気をつけねばならないのは、以下の四行(読む上では三行)に跨がる物であとは考慮する必要がない。字音仮名遣については別項で扱う。

*'''あいうえお'''
*'''はひふへほ'''
*や'''い'''ゆ'''え'''よ
*わ'''ゐうゑを'''

ヤ行は以外な盲点であるが、「ヤ行下二(上二)段活用」の「越える」「絶える」などを、歴史的假名遣に慣れてくると、「食ふ」「問ふ」などにつられて、「越へる」としがちである。古典の勉強で憶えさせられるように、ワ行下二段活用などと合わせて憶える必要がある。また語中・語尾において「ア行」で綴ることが少ないのが特徴である。これはア行が発音しにくいからとされている。

動詞の活用形の判断に使用する終止形の活用語尾も含めて、以下で簡単に纏めると、

*ア列:あ行・は行・わ行<!--表にでもするか-->
*イ列:あ行(や行)・は行・わ行
*ウ列:あ行(わ行)・は行
*エ列:あ行(や行)・は行・わ行
*オ列:あ行・は行・わ行

これらを区別して表記できねばならない。括弧は先述の「ヤ行下二(上二)段活用」や「ワ行下二段活用」などを判断する為である。表記の上での差異は括弧付きではない部分の14箇所である。

===習得法===
<!--準備-->

===固有名詞===
[[固有名詞]]においては現代でも歴史的仮名遣が使用されている場合がある。
[[固有名詞]]においては現代でも歴史的仮名遣が使用されている場合がある。
* [[アヲハタ|ア'''ヲ'''ハタ]]株式会社
* [[アヲハタ|ア'''ヲ'''ハタ]]株式会社
* [[私屋カヲル|私屋カ'''ヲ'''ル]]
* [[私屋カヲル|私屋カ'''ヲ'''ル]]
* [[眞鍋かをり|眞鍋か'''を'''り]]
* [[眞鍋かをり|眞鍋か'''を'''り]]

こちらは字音仮名遣である。

* [[智頭町]](ち'''づ'''ちょう)
* [[智頭町]](ち'''づ'''ちょう)

===現代仮名遣いとの比較===
現代仮名遣いは本則が表音であること、これが歴史的假名遣との一番の差であるが、現代仮名遣いの有する妥協点、準則である正書法の部分の多くは「歴史的假名遣」に基づく物である。従って準則の部分では差が少ない。「現代かなづかい」の理念である本則や準則については、[[仮名遣]]や[[現代仮名遣い]]の項に纏められているけれどここでも引用すれば、文部省の[[廣田榮太郞]]氏によれば次の通りである。

{{quotation|現代かなづかいは、より所を現代の発音に求め、だいたい現代の標準的発音(厳密に云えば音韻)をかなで書き表わす場合の準則である。その根本方針ないし原則は、表音主義である。同じ発音はいつも同じかなで書き表わし、また一つのかなはいつも同じ読み方をする、ことばをかえていえば、一音一字、一字一音を原則としている。
|}}<!--「私の國語教室」18頁(文春文庫版)では引用されてゐるが、參照先が記されず元がどこかわからなかったので記名できない-->

妥協点の多くが歴史的假名遣であることは、同様に廣田氏が次のように述べることから明らかである。

{{quotation|現代かなづかいは、一音一字、一字一音の表音主義を原則とはするが、かなを発音符号として物理的な音声をそのまま写すものではなく、どこまでも正書法として、ことばをかなで書き表わすためのきまりである。したがって、表音主義の立場から見て、そこにはいくつかの例外を認めざるを得ない。それはこれまでの書記習慣と妥協して、旧かなづかいの一部が残存している点である。
|}}<!--「私の國語教室」34頁(文春文庫版)。同上-->

これが現代仮名遣いは歴史的假名遣を含む故に正書法であると呼ばれる所以である。「現代かなづかい」における妥協の経緯や、細かな表記法は[[仮名遣]]や[[現代仮名遣い]]を見て欲しい。

===現代仮名遣いでの表音表記法===
現代仮名遣いでは次の様な修正を施す。

*【表音本則】 「ゐ(ヰ)」「ゑ(ヱ)」「を(ヲ)」はア行で表す。
*【表音本則】所謂ハ行転呼音「はひふへほ」は、ア行または「ワ」で表す。つまり「は」は「わ」である。
*【従則】以上のうち助詞の「は」「を」「へ」に限り歴史的假名遣と同一とする。
:「現代かなづかい」ではこの従則を「わ/お/え」でも構わないとしたが、「現代仮名遣い」では歴史的假名遣に統一された。
*【表音本則】「ぢ・づ」を含む語は「じ・ず」で表す。
*【従則】所謂連濁・複合語、語意識の働く語彙に関しては、歴史的假名遣に於ける「ぢ・づ」を許容する。
:「現代仮名遣い」では「現代かなづかい」より許容範囲が広い。
*【表音本則】拗音・促音などは仮名の小書きを行う。
:ただし歴史的假名遣でも行うことがある。
*【表音本則】長音は列ごとに本則があるが、「あ・い・う・え」列は該当列の母音を附けて綴る。「か'''あ'''さん」「し'''い'''(椎)」「つ'''う'''しん(通信)」「ね'''え'''さん」。
*【長音表音本則】オ列長音はウを附けて綴る。「こ'''う'''うん(幸運)」など。
*【長音従則】歴史的假名遣におけるハ行転呼音「ホ」での「オ列長音」は、「こ'''お'''り(こ'''ほ'''り)」の如く、オを附けて綴る。
*【長音従則】歴史的假名遣における「ヲ」での「オ列長音」は、「と'''お'''(と'''を''')」の如く、オを附けて綴る。
*【長音補足】現代仮名遣いでは活用形に志向形(時枝文法による)を定める。これは未然形に含むことがある。
:志向形とはだいたい次のような物である。「笑ふ」に「む」が接続して「笑はむ」という表現があった。この「む」が撥音「ん」に変化して軈て「う」という助動詞になり、「笑はう」となった。この頃すでにハ行転呼は起きていたために、読みは「ワラワウ」から「ワラオー/ワラオウ」などに変化した。歴史的假名遣では語としての長音変化を表さないが(譬えば、現代仮名遣いでもワラオーヨと正則的ではない表記で書くと幼児語の響きが生まれるように、音の変化を表すのは特殊な用途であった)、現代仮名遣いでは本則によって「笑はう」を「笑おう」と綴る。志向形は未然形と違って、現代では「笑わ」に「う」が接続した場合にだけ生じる「お」の音が、「何かしよう」という方向性の違いを持ったことから定められる。
::ここで一つの問題が生じる。「笑おう」の「う」は助動詞か否かという問いである。同じ表音本則の「つうしん」の「う」も「笑おう」の「う」と同様の意識で綴られる物だが、歴史的假名遣では表音よりもこの点の差異を重視する。長音を表すことで助動詞「う」が接続して初めて「ワラオー」になったということが、表記からはわからなくなるからである。また「笑ふ」の場合、五十音図からずれて正則性を失うことも問題点となる。

===表記搖れ===
時代によって表記搖れがある。その理由は研究の進み具合ということであるが、先述したように、資料に基づく研究は契沖に始まるがために、まだ幾分かの誤りが含まれている可能性は充分にある。その例の一つが「机(ツクエ)」である。戦前長らく「ツクヱ」とされ、「突き据ゑる」などの意味であるとされてきたが、平安初期の文献を詳しくしらべたところ、戦後の今ではヤ行のエ「突き枝(え)」が正しいとされ、「机(ツクエ)」と綴られる。

[[アジサイ|紫陽花]]のように諸説ある物は多く、紫陽花は古形「あつさゐ(あづさゐ)」から「あぢさゐ」であるとされる。現在では[[訓点語学]]や[[上代語]]研究の発達により、大半は正しい表記(より古い時代に使用=語源に近いと考察される)が判明している。これらの特に疑わしい使用例は[[疑問仮名遣]]と呼ばれる。

また誤用による仮名遣のうち、特に広く一般に使用されるものを[[許容仮名遣]]と呼ぶ。「或いは(イは間投助詞であるが、ヰやヒと綴られた)」、「用ゐる(持ち率るの意だが、混同によりハ行・ヤ行に活用した)」、「つくえ(先述のツクヱ)」などでの誤用である。

なお「泥鰌(どぢやう)」を「どぜう」としたり、「知らねえ」を「知らねへ」としたりするのは歴史的仮名遣ではなく、[[江戸時代]]の俗用表記法であり、特にその根拠はない。

=== 字音仮名遣など ===
漢字音の古い発音を表記するためにつくられた仮名遣いを[[字音仮名遣]]と呼び、広義の歴史的仮名遣にはこれも含む。ただし字音仮名遣は時代によってその乱れが激しく定見を得ないものも多いうえ、和語における歴史的仮名遣とは体系を別にするものであるから同列に論ずることはできない。

歴史的仮名遣における字音仮名遣の体系的な成立はきわめて遅く、江戸期に入って[[本居宣長]]がこれを集大成するまで正しい表記の定められないものが多かった。明治以降、現代仮名遣いの施行まで行われた仮名遣ではもっぱらこれによっている。

以上のような成りたちから、歴史的仮名遣の正当性を主張する論者にも字音仮名遣を含める人([[三島由紀夫]])と含めない人([[時枝誠記]]、[[福田恒存]]・[[丸谷才一]])とがいる。

* 「くわ」「ぐわ」という表記は、現在では「カ」「ガ」の発音を表す。
* ア段+「う」「ふ」という表記は、現在では「オー」の発音を表す。
* イ段+「う」「ふ」という表記は、現在では「ユー」の発音を表す。
* エ段+「う」「ふ」という表記は、現在では「ヨー」の発音を表す。
* エ段+「い」という表記は、現在では「エー」「エイ」の発音を表す。
* オ段+「う」「ふ」という表記は、現在では「オー」の発音を表す。
* 明治以降、外来語の特殊表記として以下の方法が考え出された。
** 「うぃ」「うぇ」を「ウヰ」「ウヱ」等と表記する。
** 「うぃ」「うぇ」を「ヰ」「ヱ」等と表記する。
** 「ヴァ」を「ワ゛」(ワに濁点)と表記する。


== 参考文献 ==
== 参考文献 ==

2009年8月5日 (水) 14:24時点における版

歴史的假名遣(仮名遣、れきしてきかなづかひ/かなづかい)とは仮名遣の一種である。復古仮名遣とも呼ばれ、また現代仮名遣いと対比し旧仮名遣もしくは正仮名遣とも呼ばれる。現代仮名遣いに比して語源主義・文法主義であり、すなはち発音に比して変化しにくい、あるいは変化することのない語源、文法を基準とするため、歴史的変化による影響を受けにくい利点があり、現在でも一部の人々に使用されている。

歴史的假名遣の典拠は多く設定することができるが、一般には契沖による契沖仮名遣を修正・発展させた明治期以降の学校教育で用いられた物であり、平安初期の表記を基点としている。戦後昭和二十一年に国語国字改革の流れによって告示された「現代かなづかい」まで、国語表記に際して公教育の場で仮名遣として教えられていた。現在の公教育では古典教育でのみ使用される。

本稿では、一般的な仮名による正書法の意味では「仮名遣」、思想の異なる二系統を「歴史的假名遣」「現代仮名遣い」として、表記を統一する。「現代かなづかい」とする場合は「現代仮名遣い」以前の物である。

歴史

仮名遣も参照。時代ははっきりとはしないので、だいたいの時代区分で流れを摑んでほしい。

  • 国語表記の始まった上代の萬葉假名では、上代特殊仮名遣が行われる。
  • 平安初期に仮名文字が発展して萬葉假名が衰頽する。同時に上代特殊仮名遣も衰頽する。
  • 平安中期になると、天地の歌にみられるような、ヤ行のエの区別が上代特殊仮名遣の衰頽と共に薄れる。
  • 平安中期から後期にかけて大規模な音韻の変化「ヰ・ヱ」の「イ・エ」への同化があったと推察される。
此の頃から表記が乱れ始める。何らかの規範、仮名遣を必要とする動きが生まれる。
江戸時代までは、これらの仮名遣が整理されて遣われていた。
  • 江戸初期の元祿時代に契沖が和字正濫抄を著し、行阿までの仮名遣を改め、契沖仮名遣を定める。古典研究により定めた点で画期的であった(国文学の原流となる)。
契沖は「語義の書き分け」のためにあると結論した。譬えば「居(ゐ)る」と「入(い)る」など。時枝誠記博士はこれを「語義の標識」と呼んだ。
上代特殊仮名遣の研究は大正六年に橋本進吉博士が「帝國文學」で発表、昭和六年九月に「上代の文獻に存する特殊の假名遣と當時の語法」を発表、昭和十七・八年ころには凡そ国文学の中で認められた。
  • 明治時代になって公教育では以上の流れを汲む仮名遣を採用する。歴史的假名遣とは契沖仮名遣と字音仮名遣であった。
  • 明治三十三年に表音化の動きがあるも、反対にあって頓挫する。三十三式とも呼ばれる。臨時仮名遣調査委員会
  • 昭和十七年に橋本進吉博士が「表音的假名遣は假名遣にあらず」を発表する。
昭和に入ると、橋本博士や時枝博士によって、「歴史的假名遣」は「語」に基づいて「語」を綴るものと定められ、「語義の標識」はその結果であるとして否定される。
  • 昭和二十一年に一連の国語改革の流れにのって「歴史的假名遣」は古典を除いて公教育から姿を消し「現代かなづかい」が公示される。
ほぼ同時期にローマ字教育が始まる。国語改革は国語審議会の答申により内閣が閣議決定した。
  • 昭和六十一年に「現代かなづかい」は「現代仮名遣い」へと修正される。

そして現在に至るが、現在でもどちらがよいか、どのような仮名遣が理想かで論争が続いている。

背景

時代の変化に伴い日本語の発音は変化する。そのため、語の表記と発音とにはしばしばずれが生じ、同音でも異なる表記がありうるようになった。そのとき、厳密を重んずる上である一つの表記を正しいものと見なし、それとは別の表記を誤りと決定する必要が生じ、仮名遣が考えられるようになった。

鎌倉時代初期には発音と表記とにずれが生じ、既に表記が混乱した状態にあった。そのため、藤原定家は古い文献を精査した上で「を・お」「え・ゑ・へ」「い・ゐ・ひ」の区別に就いて論じた。これに行阿が補正・増補を行って定家仮名遣が成立した。江戸時代まで定家仮名遣は正式なものとして、歌人の間などに普及した。しかし、定家らの調べた文献は十分古いものではなく、すでに仮名遣の混乱を含んだものであった。また、いくつかの語に就いてはアクセントに基づいて表記が決定されたため、上代のものと異なる仮名遣が「正しい」とされた場合があった。

制定

江戸時代になって契沖万葉集(萬葉集)などのより古い文献を調べ、定家仮名遣とは異なる用法が多く見られることを発見し、それを改訂して復古仮名遣を創始した。その後、本居宣長らにより理論的な改訂がなされ、さらに明治以降の研究によって近代的な表記法として整備された。

明治以降

明治維新前後以来、国語の簡易化が表音主義者によって何度も主張された。それらは漢字を廃止してアルファベットローマ字)や仮名のみを使用するもので、中には日本語の代りにフランス語を採用するものもあった。表記と発音とのずれが大き過ぎる歴史的假名遣の学習は非効率的である、表音的仮名遣を採用することで国語教育にかける時間を短縮し、他の学科の教育を充実させるべきであると表音主義者は主張した。これに対して森鴎外芥川龍之介といった文学者、山田孝雄ら国語学者の反対があった。民間からの抵抗も大きく、戦前は表音的仮名遣の採用は見送られた。

敗戦直後、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の民主化政策の一環として来日したアメリカ教育使節団の勧告により政府は表記の簡易化を決定、国語審議会の検討による「現代かなづかい」を採用、内閣告示で実施した。以来、この新しい仮名遣である「現代かなづかい」(新仮名遣、新かな)に対して歴史的假名遣は旧仮名遣(旧かな、舊假名)と呼ばれる様になった。

なお漢字制限も同時に為され、当用漢字(現・常用漢字)の範囲内での表記が推奨され、「まぜ書き」や「表外字の置換え」と呼ばれる新たな表記法が誕生した。当用漢字以後は人名用漢字が司法省(法務省)により定められ、漢字制限はJISも含めて渾沌とした物となっている。歴史的假名遣論者では多く漢字制限にも反撥することが多い。福田恆存などは、全ては国字ローマ字化のためである、漢字制限に際しては改革案がCIEの担当官ハルビン氏によって「傳統的な文字の改變は熟慮を要する」一蹴されたにも拘らず断行した、と糾弾している(後述)。

仮名遣を参照。歴史的假名遣を批判する場合、歴史的假名遣論者からも批判があがることがあるが、主に字音仮名遣に対してである。

現代かなづかいへの批判

この国語改革に対しては、批評家・劇作家の福田恆存が『私の國語教室』を書いて現代仮名遣いの論理的な矛盾を衝き、徹底的な批判を行った。現代仮名遣いは、表音的であるとするが一部歴史的假名遣を継承し、完全に発音通りであるわけではない。助詞の「は」「へ」「を」を発音通りに「わ」「え」「お」と書かないのは歴史的仮名遣を部分的にそのまま踏襲したものであるし、「え」「お」を伸ばした音の表記は歴史的仮名遣の規則に準じて定められたものである。

また福田は「現代かなづかい」の制定過程や国語審議会の体制に問題があると指摘した。その後、国語審議会から「表意主義者」4名が脱退する騒動が勃発し、表音主義者中心の体制が改められることとなった。1986年に内閣から告示された「現代仮名遣い」では「歴史的仮名遣いは、我が国の歴史や文化に深いかかわりをもつものとして尊重されるべき」(「序文」)であると書かれるようになった。

歴史的仮名遣の現在

現代仮名遣いは戦後速やかに定着し、1970年代以降は、小説や詩のほとんどが現代仮名遣いで書かれるようになっている。しかし、不完全な現代仮名遣いの見直しを含む国語改革と歴史的假名遣の復権を主張する人は今も残る。現存の作家では阿川弘之丸谷才一大岡信高森明勅等、学者では小堀桂一郎中村粲長谷川三千子等がそれであり、井上ひさし山崎正和にも歴史的假名遣によって発表された著作がある。また最近では個人がインターネット上に文章を発表することが可能となっているため、今日でも一部では歴史的假名遣が使用されている状況が窺われる。

なお現代仮名遣いは原則として口語文に就いてのみ使用される、古典文化には干渉しないとしたため、文語文法によって作品を書く俳句短歌の世界においては歴史的假名遣の方が一般的である。

概要

ここでは主に歴史的假名遣だけを中心とするが、現代仮名遣いとの比較は仮名遣も参照。

理念

歴史的假名遣の理念は「語に従う」ことである。文字を遣いわける方法であるとか、言葉を書き分けるなどは結果であって、目的ではない。

(一)假名遣といふ語は、本來は假名のつかひ方といふ意味をもつてゐるのであるが、現今普通には、そんな廣い意味でなく、「い」と「ゐ」と「ひ」、「え」と「ゑ」と「へ」、「お」と「を」と「ほ」、「わ」と「は」のやうな同音の假名の用法に關してのみ用ゐられてゐる。さうして世間では、これらの假名による國語の音の書き方が即ち假名遣であるやうに考へてゐるが、實はさうではない。これらの假名は何れも同じ音を表はすのであるから、その音自身をどんなに考へて見ても、どの假名で書くべきかをきめる事が出來る筈はない。それでは假名遣はどうしてきまるかといふに、實に語によつてきまるのである。「愛」も「藍」も「相」も、 その音はどれもアイであつて、そのイの音は全く同じであるが、「愛」は「あい」と書き「藍」は「あゐ」と書き「相」は「あひ」と書く。同じイの音を或は「い」を用ゐ或は「ゐ」を用ゐ或は「ひ」を用ゐて書くのは、「愛」の意味のアイであるか、「藍」の意味のアイであるか、「相」の意味のアイであるかによるのである。單なる音は意味を持たず、語を構成してはじめて意味があるのであるから、假名遣は、單なる音を假名で書く場合のきまりでなく、語を假名で書く場合のきまりである。

この事は古來の假名遣書を見ても明白である。例へば定家假名遣といはれてゐる行阿の假名文字遣は「を」「お」以下の諸項を設けて、各項の中にその假名を用ゐるべき多くの語を列擧してをり、所謂歴史的假名遣の根元たる契沖の和字正濫抄も亦「い」「ゐ」「ひ」以下の諸項を擧げて、それぞれの假名を用ゐるべき諸語を列擧してゐる。楫取魚彦の古言梯にいたつては、多くの語を五十音順に擧げて、一々それに用ゐるべき假名を示して、假名遣辭書の體をなしてゐるが、辭書はいふまでもなく語を集めたもので、音をあつめたものではない。これによつても假名遣といふものが語を離れて考へ得べからざるものである事は明瞭である。
表音的假名遣といふものは、國語の音を一定の假名で書く事を原則とするものである。その標準は音にあつて意味にはない。それ故、如何なる意味をもつてゐるものであつても同じ音はいつも同じ假名で書くのを主義とするのである。「愛」でも「藍」でも「相」でもアイといふ音ならば、何れも「あい」と書くのを正しいとする。それ故どの假名を用ゐるべきかを定めるには、どんな音であるかを考へればよいのであつて、どんな語であるかには關しない。勿論表音的假名遣ひについて書いたものにも往々語があげてある事があるが、それは只書き方の例として擧げたのみで、さう書くべき語の全部を網羅したのではない。それ以外のものは、原則から推して考へればよいのである。然るに古來の假名遣書に擧げた諸語は、それらの語一つ一つに於ける假名の用法を示したもので、そこに擧げられた以外の語の假名遣は、必ずしも之から推定する事は出來ない。時には推定によつて假名をきめる事があつても、その場合には、音を考へていかなる假名を用ゐるべきかをきめるのではなく、その語が既に假名遣の明らかな語と同源の語であるとか、或はそれから轉化した語であるとかを考へてきめるのであつて、やはり箇々の語に於けるきまりとして取扱ふのである。
以上述べた所によつて、古來の假名遣は(定家假名遣も所謂歴史的假名遣も)假名による語の書き方に關するきまりであつて、語を基準にしてきめたものであり、表音的假名遣は假名による音の書き方のきまりであつて、音を基準としたものである事が明白になつたと思ふ。

— 表音的假名遣は假名遣にあらず(橋本進吉/昭和十七年八月)

語に従う」とは、「音」が「語」を構成し認められるにつれ、「表音文字」であった仮名文字観念に於いて「表語文字」或いは「表意文字へと変わる(則ち「單なる音は意味を持たず、語を構成してはじめて意味がある」)ことを述べる。また定家仮名遣が辞書的であると述べているが、「辭書はいふまでもなく語を集めたもので、音をあつめたものではない」ことから、歴史的假名遣は誕生当初から語を綴ることを目的としたと橋本博士は述べる。

一方で仮名の表音性は重視すべきことかと云えばそうではないと論じる。現代仮名遣いが表音を本則とするのに際して、歴史的假名遣は表語(表意)を本則とするのである。「歴史的假名遣」の本質は、「國語の音をいかなる假名によつて表はすかといふ事が問題となつたのでなく、もとから別々の假名として傳はつて來た多くの假名の中に同音のものが出來た爲、それを如何に區別して用ゐるか〔同上(5)より抜萃〕」が問題になったのであり、「文語(文字言語)」や「口語(音声言語)」に基づく仮名遣は「仮名遣」としては別の物なので注意すべきだと警告した。

留意しておきたいのは、音を明確に示したい場合に表音的仮名遣を遣う余地が歴史的假名遣にはある点である。歴史的假名遣では、擬音方言(方言の読みを示したい乃至語源がよくわからない場合、狭義の音便を含む)は飽くまで「音」であるから「音の書き方のきまり」である表音的な假名遣を用い、それが「語」になって初めて「語を書くきまり」である歴史的假名遣を遣うとよい、と橋本博士は述べている(昭和十五年の「國語の表音符號と假名遣」も参照)。歴史的假名遣では表音的な表記ができないというのは誤謬であろう。

表音か否か

(五)《前略》假名遣に於ては、その發生の當初から、假名を單に音を寫すものとせずして、語を寫すものとして取扱つてゐるのである。さうして假名遣のかやうな性質は現今に至るまでかはらない事は最初に述べた所によつて明かである。然るに今の表音的假名遣は、專ら國語の音を寫すのを原則とするもので、假名を出來るだけ發音に一致させ、同じ音はいつでも同じ假名で表はし、異る音は異る假名で表はすのを根本方針とする。即ち假名を定めるものは語ではなく音にあるのである。これは、假名の見方取扱方に於て假名遣とは根本的に違つたものである。かやうに全く性質の異るものを、同じ假名遣の名を以て呼ぶのは誠に不當であるといはなければならない。これは發生の當初から現今に至るまで一貫して變ずる事なき假名遣の本質に對する正當な認識を缺く所から起つたものと斷ぜざるを得ない。《後略》 — 表音的假名遣は假名遣にあらず(橋本進吉/昭和十七年八月)

以上は「表音的假名遣」が「仮名遣」ではないとするその結論の一部である。なお「現代語の語音に基づく」べしとする後述の「現代かなづかい」では、多く「歴史的假名遣」が「古代語の音に基づいている」とされ、橋本博士の主張とは異なる。

《前略》いわゆる歴史的かなづかいは、古代語の語音に基づいている。すなわち、旧かなづかいは、古代語を書いていたものであるが、現代かなづかいは、現代語を書くことにするということである。《後略》 — 新かなづかい法の学的根拠(金田一京助)抜萃

ここは歴史的假名遣論者と現代仮名遣い(表音主義)論者との決定的な違いであるが、福田恆存はこのことを「仮名の音節文字という一面しかみていない」と糾弾する。歴史的假名遣からみれば仮名の表音性は便利であるけれども、「仮名遣」は「語」を綴らねばならないので、音ではなく語に基づかねばならない。歴史的假名遣は語に基づく事を理想とするけれども、時には擬音語や音便のように一定の表記が無いために音に基づく必要があり、此の時に仮名が音節文字である現実を利用すればよいと福田は主張した。

同様の事を国語審議会主査委員であり、主査委員二〇名のうち唯一「現代かなづかい」制定に反対した時枝博士は次のように述べる。

云はば、表音主義は表記の不斷の創作とならざるを得ないのである。これは、古典假名遣の困難をば救はうとして、更に表記の不安定といふ別個の問題をひき起こすことになるのである《中略》

傳統は、單に無意味な文字の固定を、ただ傳統なるが故に守らうとするやうなものではない。本來表音的文字として使用せられた假名は、時代と共に、表音文字以上の價値を持つものとして認識せられて來る。それは觀念の象徴として、例へば、助詞の「を」「は」「へ」の如きはその最も著しいものであつて、ここに於いて文字發達史の通念である表意文字より表音文字への歷史的過程とは全く相反する現象が認められるのである。

— 國語審議會答申の<現代かなづかい>について(時枝誠記/國語と國文學・二四ノ一・二/至文堂・昭和二十二年)

時枝博士は、国語審議会の委員から違和感が多いからと妥協することになった「現代かなづかい」共通の表記「を」「は」「へ」の例をあげて、観念では語のうちに表音より表意が優位であると、現象のうちに歴史的假名遣は、表音(古代の音韻)ではなく、表意に基づく物であると述べた。

表記法

歴史的假名遣を綴る上で実際に気をつけねばならないのは、以下の四行(読む上では三行)に跨がる物であとは考慮する必要がない。字音仮名遣については別項で扱う。

  • あいうえお
  • はひふへほ
  • ゐうゑを

ヤ行は以外な盲点であるが、「ヤ行下二(上二)段活用」の「越える」「絶える」などを、歴史的假名遣に慣れてくると、「食ふ」「問ふ」などにつられて、「越へる」としがちである。古典の勉強で憶えさせられるように、ワ行下二段活用などと合わせて憶える必要がある。また語中・語尾において「ア行」で綴ることが少ないのが特徴である。これはア行が発音しにくいからとされている。

動詞の活用形の判断に使用する終止形の活用語尾も含めて、以下で簡単に纏めると、

  • ア列:あ行・は行・わ行
  • イ列:あ行(や行)・は行・わ行
  • ウ列:あ行(わ行)・は行
  • エ列:あ行(や行)・は行・わ行
  • オ列:あ行・は行・わ行

これらを区別して表記できねばならない。括弧は先述の「ヤ行下二(上二)段活用」や「ワ行下二段活用」などを判断する為である。表記の上での差異は括弧付きではない部分の14箇所である。

習得法

固有名詞

固有名詞においては現代でも歴史的仮名遣が使用されている場合がある。

こちらは字音仮名遣である。

現代仮名遣いとの比較

現代仮名遣いは本則が表音であること、これが歴史的假名遣との一番の差であるが、現代仮名遣いの有する妥協点、準則である正書法の部分の多くは「歴史的假名遣」に基づく物である。従って準則の部分では差が少ない。「現代かなづかい」の理念である本則や準則については、仮名遣現代仮名遣いの項に纏められているけれどここでも引用すれば、文部省の廣田榮太郞氏によれば次の通りである。

現代かなづかいは、より所を現代の発音に求め、だいたい現代の標準的発音(厳密に云えば音韻)をかなで書き表わす場合の準則である。その根本方針ないし原則は、表音主義である。同じ発音はいつも同じかなで書き表わし、また一つのかなはいつも同じ読み方をする、ことばをかえていえば、一音一字、一字一音を原則としている。

妥協点の多くが歴史的假名遣であることは、同様に廣田氏が次のように述べることから明らかである。

現代かなづかいは、一音一字、一字一音の表音主義を原則とはするが、かなを発音符号として物理的な音声をそのまま写すものではなく、どこまでも正書法として、ことばをかなで書き表わすためのきまりである。したがって、表音主義の立場から見て、そこにはいくつかの例外を認めざるを得ない。それはこれまでの書記習慣と妥協して、旧かなづかいの一部が残存している点である。

これが現代仮名遣いは歴史的假名遣を含む故に正書法であると呼ばれる所以である。「現代かなづかい」における妥協の経緯や、細かな表記法は仮名遣現代仮名遣いを見て欲しい。

現代仮名遣いでの表音表記法

現代仮名遣いでは次の様な修正を施す。

  • 【表音本則】 「ゐ(ヰ)」「ゑ(ヱ)」「を(ヲ)」はア行で表す。
  • 【表音本則】所謂ハ行転呼音「はひふへほ」は、ア行または「ワ」で表す。つまり「は」は「わ」である。
  • 【従則】以上のうち助詞の「は」「を」「へ」に限り歴史的假名遣と同一とする。
「現代かなづかい」ではこの従則を「わ/お/え」でも構わないとしたが、「現代仮名遣い」では歴史的假名遣に統一された。
  • 【表音本則】「ぢ・づ」を含む語は「じ・ず」で表す。
  • 【従則】所謂連濁・複合語、語意識の働く語彙に関しては、歴史的假名遣に於ける「ぢ・づ」を許容する。
「現代仮名遣い」では「現代かなづかい」より許容範囲が広い。
  • 【表音本則】拗音・促音などは仮名の小書きを行う。
ただし歴史的假名遣でも行うことがある。
  • 【表音本則】長音は列ごとに本則があるが、「あ・い・う・え」列は該当列の母音を附けて綴る。「かさん」「し(椎)」「つしん(通信)」「ねさん」。
  • 【長音表音本則】オ列長音はウを附けて綴る。「こうん(幸運)」など。
  • 【長音従則】歴史的假名遣におけるハ行転呼音「ホ」での「オ列長音」は、「こり(こり)」の如く、オを附けて綴る。
  • 【長音従則】歴史的假名遣における「ヲ」での「オ列長音」は、「と(と)」の如く、オを附けて綴る。
  • 【長音補足】現代仮名遣いでは活用形に志向形(時枝文法による)を定める。これは未然形に含むことがある。
志向形とはだいたい次のような物である。「笑ふ」に「む」が接続して「笑はむ」という表現があった。この「む」が撥音「ん」に変化して軈て「う」という助動詞になり、「笑はう」となった。この頃すでにハ行転呼は起きていたために、読みは「ワラワウ」から「ワラオー/ワラオウ」などに変化した。歴史的假名遣では語としての長音変化を表さないが(譬えば、現代仮名遣いでもワラオーヨと正則的ではない表記で書くと幼児語の響きが生まれるように、音の変化を表すのは特殊な用途であった)、現代仮名遣いでは本則によって「笑はう」を「笑おう」と綴る。志向形は未然形と違って、現代では「笑わ」に「う」が接続した場合にだけ生じる「お」の音が、「何かしよう」という方向性の違いを持ったことから定められる。
ここで一つの問題が生じる。「笑おう」の「う」は助動詞か否かという問いである。同じ表音本則の「つうしん」の「う」も「笑おう」の「う」と同様の意識で綴られる物だが、歴史的假名遣では表音よりもこの点の差異を重視する。長音を表すことで助動詞「う」が接続して初めて「ワラオー」になったということが、表記からはわからなくなるからである。また「笑ふ」の場合、五十音図からずれて正則性を失うことも問題点となる。

表記搖れ

時代によって表記搖れがある。その理由は研究の進み具合ということであるが、先述したように、資料に基づく研究は契沖に始まるがために、まだ幾分かの誤りが含まれている可能性は充分にある。その例の一つが「机(ツクエ)」である。戦前長らく「ツクヱ」とされ、「突き据ゑる」などの意味であるとされてきたが、平安初期の文献を詳しくしらべたところ、戦後の今ではヤ行のエ「突き枝(え)」が正しいとされ、「机(ツクエ)」と綴られる。

紫陽花のように諸説ある物は多く、紫陽花は古形「あつさゐ(あづさゐ)」から「あぢさゐ」であるとされる。現在では訓点語学上代語研究の発達により、大半は正しい表記(より古い時代に使用=語源に近いと考察される)が判明している。これらの特に疑わしい使用例は疑問仮名遣と呼ばれる。

また誤用による仮名遣のうち、特に広く一般に使用されるものを許容仮名遣と呼ぶ。「或いは(イは間投助詞であるが、ヰやヒと綴られた)」、「用ゐる(持ち率るの意だが、混同によりハ行・ヤ行に活用した)」、「つくえ(先述のツクヱ)」などでの誤用である。

なお「泥鰌(どぢやう)」を「どぜう」としたり、「知らねえ」を「知らねへ」としたりするのは歴史的仮名遣ではなく、江戸時代の俗用表記法であり、特にその根拠はない。

字音仮名遣など

漢字音の古い発音を表記するためにつくられた仮名遣いを字音仮名遣と呼び、広義の歴史的仮名遣にはこれも含む。ただし字音仮名遣は時代によってその乱れが激しく定見を得ないものも多いうえ、和語における歴史的仮名遣とは体系を別にするものであるから同列に論ずることはできない。

歴史的仮名遣における字音仮名遣の体系的な成立はきわめて遅く、江戸期に入って本居宣長がこれを集大成するまで正しい表記の定められないものが多かった。明治以降、現代仮名遣いの施行まで行われた仮名遣ではもっぱらこれによっている。

以上のような成りたちから、歴史的仮名遣の正当性を主張する論者にも字音仮名遣を含める人(三島由紀夫)と含めない人(時枝誠記福田恒存丸谷才一)とがいる。

  • 「くわ」「ぐわ」という表記は、現在では「カ」「ガ」の発音を表す。
  • ア段+「う」「ふ」という表記は、現在では「オー」の発音を表す。
  • イ段+「う」「ふ」という表記は、現在では「ユー」の発音を表す。
  • エ段+「う」「ふ」という表記は、現在では「ヨー」の発音を表す。
  • エ段+「い」という表記は、現在では「エー」「エイ」の発音を表す。
  • オ段+「う」「ふ」という表記は、現在では「オー」の発音を表す。
  • 明治以降、外来語の特殊表記として以下の方法が考え出された。
    • 「うぃ」「うぇ」を「ウヰ」「ウヱ」等と表記する。
    • 「うぃ」「うぇ」を「ヰ」「ヱ」等と表記する。
    • 「ヴァ」を「ワ゛」(ワに濁点)と表記する。

参考文献

  • 土井忠生編『日本語の歴史』改訂版、至文堂、1957年6月。

関連項目

外部リンク