無料のKindleアプリをダウンロードして、スマートフォン、タブレット、またはコンピューターで今すぐKindle本を読むことができます。Kindleデバイスは必要ありません。
ウェブ版Kindleなら、お使いのブラウザですぐにお読みいただけます。
携帯電話のカメラを使用する - 以下のコードをスキャンし、Kindleアプリをダウンロードしてください。
幸福論: 〈共生〉の不可能と不可避について (NHKブックス 1081) 単行本 – 2007/3/1
- 本の長さ339ページ
- 言語日本語
- 出版社NHK出版
- 発売日2007/3/1
- ISBN-10414091081X
- ISBN-13978-4140910818
この著者の人気タイトル
ページ 1 以下のうち 1 最初から観るページ 1 以下のうち 1
登録情報
- 出版社 : NHK出版 (2007/3/1)
- 発売日 : 2007/3/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 339ページ
- ISBN-10 : 414091081X
- ISBN-13 : 978-4140910818
- Amazon 売れ筋ランキング: - 148,799位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
著者について
著者をフォローして、新作のアップデートや改善されたおすすめを入手してください。
1959年、宮城県生まれ。
社会学者、評論家。首都大学東京教授。公共政策プラットフォーム研究評議員。東京大学大学院人文科学研究科博士課程修了(社会学博士)。『日本の難点』(幻冬舎)、『14歳からの社会学』(世界文化社)、『中学生からの愛の授業』(コアマガジン)『<世界>はそもそもデタラメである』(メディアファクトリー)、『制服少女たちの選択』(朝日文庫)、『終わりなき日常を生きろ』(ちくま文庫)など多数。
著者の本をもっと発見したり、よく似た著者を見つけたり、著者のブログを読んだりしましょう
著者の本をもっと発見したり、よく似た著者を見つけたり、著者のブログを読んだりしましょう
カスタマーレビュー
星5つ中4.7つ
5つのうち4.7つ
5グローバルレーティング
評価はどのように計算されますか?
全体的な星の評価と星ごとの割合の内訳を計算するために、単純な平均は使用されません。その代わり、レビューの日時がどれだけ新しいかや、レビューアーがAmazonで商品を購入したかどうかなどが考慮されます。また、レビューを分析して信頼性が検証されます。
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
2023年3月4日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
本の状態は満足しています。教養をつけるため。ありがとうございました。
2007年8月10日に日本でレビュー済み
幸福だと思い込んで(フィールグッド)生きている私のような俗人には、このような
高尚な話はなかなか理解が進まないものでしたが、その中でもなるほどと思ったことは
以下の部分です。
世の中を私のような俗人とエリートに分けて考えると、社会を設計する者は当然
ごく一部のエリート層に属する訳ですが、そのような人間をいかにして輩出するため、教育を
どのように行い、社会をデザインしていくか、またそれを行うにあたっての正当性
という点に本書の議論は集中しています。
この議論自体は特段目新しいものではないとは思いますが、今、複雑で不幸と感じる
人が増えている中で再考することは、非常に意義深いことだと思います。
細かい点では、知らない用語をはじめ理解できないことが多数出てくるのですが、
大筋各人が言っていることは理解でき、賛同できる面も多いです。
もし現在もフィールグッドデザインが行われてると考えると、その試みは失敗して
世の中は不満が多く、不幸と感じる人が増えているのかもしれません。
過激な発言で注目される宮台氏の論が全面的に正しいとも思いませんが、いずれにせよ
閉塞感のある現在の状況を打開するためには、宮台氏の本書のような提言を考慮しつつ
日本も設計変更しなければいけない時期に差し掛かっているのかも知れません。
高尚な話はなかなか理解が進まないものでしたが、その中でもなるほどと思ったことは
以下の部分です。
世の中を私のような俗人とエリートに分けて考えると、社会を設計する者は当然
ごく一部のエリート層に属する訳ですが、そのような人間をいかにして輩出するため、教育を
どのように行い、社会をデザインしていくか、またそれを行うにあたっての正当性
という点に本書の議論は集中しています。
この議論自体は特段目新しいものではないとは思いますが、今、複雑で不幸と感じる
人が増えている中で再考することは、非常に意義深いことだと思います。
細かい点では、知らない用語をはじめ理解できないことが多数出てくるのですが、
大筋各人が言っていることは理解でき、賛同できる面も多いです。
もし現在もフィールグッドデザインが行われてると考えると、その試みは失敗して
世の中は不満が多く、不幸と感じる人が増えているのかもしれません。
過激な発言で注目される宮台氏の論が全面的に正しいとも思いませんが、いずれにせよ
閉塞感のある現在の状況を打開するためには、宮台氏の本書のような提言を考慮しつつ
日本も設計変更しなければいけない時期に差し掛かっているのかも知れません。
2007年4月28日に日本でレビュー済み
「知ると高い確率で不幸になるが、知りたいか」
ソーシャル・デザイナーは「機能の言葉」のみを激烈に応酬しつつ過剰な偶発性に晒されながら闘争する。
多くの人びとは「真理の言葉」で偶発性を遮断しながら日常を生きている。
「このギャップの問題性に気づいてほしい」
<予期理論>
「何ごとも「見える」水準に留まります。・・・「自分は誰某より「全体性」を知っている」のではない。
あくまでそう「見える」に過ぎず、「見える」ことを支える文脈(=関係の絶対性(見田宗介))があるに過ぎない」
「快楽はなぜあるかという問いからこそ、残虐をも含めた全体性へと開かれるのだ」
「ぼくは、予期理論という方法を、あえて採用することで、
「非真なる全体(アドルノ)=関係の絶対性」へと開かれる態度を、自覚的に強く推奨しています」
ソーシャル・デザイナーは「機能の言葉」のみを激烈に応酬しつつ過剰な偶発性に晒されながら闘争する。
多くの人びとは「真理の言葉」で偶発性を遮断しながら日常を生きている。
「このギャップの問題性に気づいてほしい」
<予期理論>
「何ごとも「見える」水準に留まります。・・・「自分は誰某より「全体性」を知っている」のではない。
あくまでそう「見える」に過ぎず、「見える」ことを支える文脈(=関係の絶対性(見田宗介))があるに過ぎない」
「快楽はなぜあるかという問いからこそ、残虐をも含めた全体性へと開かれるのだ」
「ぼくは、予期理論という方法を、あえて採用することで、
「非真なる全体(アドルノ)=関係の絶対性」へと開かれる態度を、自覚的に強く推奨しています」
2010年7月2日に日本でレビュー済み
宮台氏のエリート主義が全開炸裂している本書はエリート主義に関心のある人、我こそはエリートであるという人、エリート志望の人には絶対的にお薦めできる濃厚な鼎談書である。共著者が宮台氏の弟子でありつつ、首席の院生と博士である事を考えても内容の高度さは推察できるだろう。私自身の好みで言えば本書は宮台氏の著作ベスト3に入るものだと思う。必読ものの力作と言ってもいい。
共著者二人が弟子という事から批判なき馴れ合いを予想する向きもあるかもしれないが、その心配は当たらない。彼らはあまり宮台氏に同調的ではなく堀内氏に至ってはわざと反抗しているのではないか、という程に宮台氏に真っ向から噛み付きまくっている。それを宮台氏がどうかわすのか、どう応えるのか、それを見るだけでも楽しめる。
「人を見て法を説く」本書で繰り返しそう言う宮台氏はエリートだけが知るべき言葉と、それ以外の大衆用の言葉を区別している。本書には前者の言葉が盛り沢山である。勿論、その内容を決めているのは宮台氏に他ならないし批判の余地だってあるわけだが、とりあえず宮台氏が言うところの「エリート」が知るべき事が、ここには余す所なく書いてある。…そんな本書のメインテーマ、それはずばり「ソーシャルデザイン(社会設計)は如何にして為されるべきか」である。
共著者二人が弟子という事から批判なき馴れ合いを予想する向きもあるかもしれないが、その心配は当たらない。彼らはあまり宮台氏に同調的ではなく堀内氏に至ってはわざと反抗しているのではないか、という程に宮台氏に真っ向から噛み付きまくっている。それを宮台氏がどうかわすのか、どう応えるのか、それを見るだけでも楽しめる。
「人を見て法を説く」本書で繰り返しそう言う宮台氏はエリートだけが知るべき言葉と、それ以外の大衆用の言葉を区別している。本書には前者の言葉が盛り沢山である。勿論、その内容を決めているのは宮台氏に他ならないし批判の余地だってあるわけだが、とりあえず宮台氏が言うところの「エリート」が知るべき事が、ここには余す所なく書いてある。…そんな本書のメインテーマ、それはずばり「ソーシャルデザイン(社会設計)は如何にして為されるべきか」である。
2007年4月26日に日本でレビュー済み
タイトルと目次にひかれ購入。宮台は時折テレビなどで見て知っていたが、本にはなじみが無かったので、どんなことを考えているのかと思い買ってみた。私には正直、ちょっと難しい内容だったが、堀内の厳しい反論が印象的で真剣勝負という感じがして、こんな本もあるのかと驚いた。最初、宮台は同じことをずっと主張していて、それに堀内や鈴木が異議を唱えていると思ったが、よく読めば宮台は途中から言っていることが変わっている。苦戦のため補うたごとに揺らいでいく感じがある。そのことを本文中で何気に揶揄されている。しかし宮台への反論に始終せず、鈴木や堀内は自らの考えをもっと展開すべきであったと思う。語りという形式での限界はあると思うが勉強にはなった。