法華狼の日記

他名義は“ほっけ”等。主な話題は、アニメやネットや歴史認識の感想。ときどき著名人は敬称略。

「弱者を勝手に代弁する人々」には適切な呼称がある

正確には、勝手に代弁された弱者の呼称。インド出身のガヤトリ・C・スピヴァクが「自らを語ることができない者」を指す言葉として引いた「サバルタン」のことだ。
弱者は代弁されることで「サバルタン」という立場となり、その代弁されること自体によって発言力が封じられる。それと同時に代弁者は限りなく透明な存在となり、代弁を通して主張した内容の責任を回避する。
サバルタンとは - はてなキーワード
サバルタン」の代わりに「世間」を代入すると、ネットジャーゴンである「太宰メソッド」となる。
太宰メソッドとは - はてなキーワード
「弱者を勝手に代弁する」ことは、いうまでもなく政治的に正しくない*1。たぶん左翼という立ち位置を積極的に引き受ける筋金入りの人物ならば、弱者の代弁して自説に利用することの誤りを、前提の一つとして考えているだろう。「はてサ中央委員会」のドヤ顔が見える気がする*2


しかし存外に知られていない言葉らしく、「弱者を勝手に代弁する人々」の問題を語っているジャーナリストの[twitter:@sasakitoshinao]氏も言及していない。憑依することから「おひょういさん」や「憑依大将軍」という造語を考えたりしている。
「弱者を勝手に代弁する人々」について、佐々木俊尚@sasakitoshinao氏のツイート 2011/5/3 - Togetter

一連のツイートをまとめたTogetterのコメント欄を見ても、「サバルタン」への言及はなし。
http://b.hatena.ne.jp/entry/togetter.com/li/131222
はてなブックマークを見ても、今のところ言及がない。


なお、「サバルタン」は代弁する者とされる者の関係性によって生まれる存在であり、常にサバルタンな集団が存在するわけではない。ひるがえって、代弁することの危険性を一度指摘したからといって、別の立場を安易に代弁していない証拠にはならない。私も下記エントリなどで、その落とし穴について書いたことがある。
そうだよ、想像するんだよ - 法華狼の日記
その意味ではsasakitoshinao氏が提唱した「共感の空間」という案も、弱者を固定化する発想が根底にあり、あまり上手くはない。サバルタンのかわりに「空間」つまりは「太宰メソッド」でいう「世間」に責任を転嫁させかねない懸念もある。

とりあえず、代弁する場合でも、あくまで代弁者の主観と責任で主張していると表明するべきとはいえるだろうか。

*1:社会運動における手腕のまずさということではなく、ポリティカルコレクトネス的な意味で間違っている。

*2:おそらく幻覚。