なぜ少女が湯水のように消費されるのか――男性オタク界わいにおける少女の消費状況について――

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シロクマの屑籠(汎適所属)

今回はp_shirokumaさんのブログ『シロクマの屑籠(汎適所属)』からご寄稿いただきました。

なぜ少女が湯水のように消費されるのか――男性オタク界わいにおける少女の消費状況について――
今となっては違和感を表明する人もあまりいないが、深夜アニメやライトノベルといった現代のオタク向けコンテンツには、たくさんの少女が登場しては湯水の如く消費されている。『けいおん!』や『魔法少女 まどか☆マギカ』のような、男性が絶無に等しいキャラクター構成が、例外ではなくオーソドックスになったことは、本当は驚きに値することではないだろうか。どうして男性オタク界わいでこんな事が起こっているのか? 以下に、考えてみようと思う。

1.エロという身も蓋もないニーズ(古典的に消費される少女)

アカデミックな議論では無視されがちだが、ベタで重要な要因の一つ。

極めてシンプルに、セクシャルに、「鑑賞対象としてもエロい想像を膨らませる対象としても、少年よりは美少女を見ているほうが気持ちいいから」という身も蓋もない理由。こうした古典的なニーズをよく反映しているのは同人誌の世界である。『けいおん!』のような、エロ消費にそれほど向いていない作風の作品にすら、世の、グルメとは言えない、エロが大好きなファン層のニーズに応じるような“薄い本”がたくさん流通・消費されていたことは忘れるべきではない。そして実際には『けいおん!』よりずっとエロ向きなコンテンツがたくさん出回っている。

また、「直球のエロを楽しんでいないならエロのニーズはゼロなのか」「観賞魚的に美少女を眺めている=エロとは無縁なのか」という疑問も、もっと注意深く扱うべきではないだろうか。

実は、エロの刺激やニーズは、唐辛子やワサビの刺激と同じく、人によって適量と体感されるレベルがまちまちで、ハイレベルな刺激に絶えられない人が一定量存在している。直球のエロ同人誌がベストという人がいる一方、ちょっとしたエロでなければ受け付けない人やプラトニック・ラブでなければしんどい人まで、様々である。“エロが薄味志向の男性”は、昔はそれほど目立たなかったが、少なくとも現在の男性オタク界わいには一定の割合で存在するように見受けられる。日常系作品群のような、過剰なエロや感情移入から心理的な距離を取りやすい作品群が、“エロの薄味志向”な人たちにちょうど良い湯加減になっている可能性まで視野に入れるなら、オタク界わいが担っているポルノメディア的な機能は、少し違った風に見えてくる。

2.“男からの逃走”に供される少女達

“エロの薄味志向”と地続きの問題として、近年は、男性のジェンダー・ロール*1 に肯定的になれていない男性オタクが決して少なくない。もし、このような人達が男性の立場からコンテンツに感情移入してしまうと、自分自身のジェンダーとの葛藤に直面することになる。

*1:性的役割

このジェンダー的葛藤を迂回(うかい)するには、男性キャラクターではなく、少女に感情移入すれば良い――実際、『魔法少女まどか☆マギカ』や『ストライクウィッチーズ』のような作風は、この界わいではすっかり定番となっており、誰も違和感を表明しない程度には定着している。ジェンダーとしての男性性を少女に預けてしまえば、自分自身のジェンダー・ロールへの嫌悪感を回避しながら感情移入できるわけで、確かにこれは便利な発明だった。

こうしたジェンダーの迂回(うかい)形式は、本来、女性おたくたちが“やおい”という形で過去に実現させていたものだった。なぜ、女性オタクの過去の発明が、現代の男性オタクにおいて“再発明”されたのか?

その理由は、バブル景気の頃あたりまでは、【女であること・女をやること】という女性のジェンダー・ロールの厳しさに比べれば【男であること・男をやること】という男性のジェンダー・ロールの厳しさが相対的に体感されにくかったせいだろう。それが、90年代以降、【男であること・男をやること】がしんどくなってきたがために、“やおい”に近い機能を持ったコンテンツが台頭してきたのだろう。“美少女をモノにしたい願望”が、裏を返せば“美少女をモノにしなければならない義務”でもあったという事実に疲れた男性達にとって*2、“男性が美少女をモノにする物語”“男性が男性のジェンダー・ロールを果たす物語”はお呼びではない。

*2:そして90年代後半以降のオタク界わいには、そのような美少女をモノにしなければならない義務に倦(う)んだ男性が大勢流入してきた歴史的背景を有している

さらにゼロ年代も後半になってくると、【男性のジェンダー・ロールから逃れたい】というニーズだけでなく、【女性のジェンダー・ロールを獲得したい】というニーズも目立ちはじめるようになってきた。戦闘美少女への自己投影によって男性ジェンダー・ロールを捨てるのもいいが、もっと女性らしいジェンダー・ロールを楽しめるようなキャラクターに自己投影するのも悪くない――そんなニーズの存在を匂わせるようなキャラクターが人気を博しはじめてきたのは記憶に新しい。

例えば『シュタインズ・ゲート』のルカ子、『インフィニット・ストラトス』のシャルル、『俺の妹がこんなに可愛いわけがない』の桐乃や黒猫などは、感情移入すれば「いい男に世話を焼いてもらう女性」という、旧来の男性ジェンダーでは望むべくもない、お姫様的なポジションを楽しむことができる。これらの作品は、男性のジェンダー・ロールに抵抗のない人は男性主人公に感情移入が可能/女性的なジェンダー・ロールを望む人は女性ヒロインに感情移入が可能な、良い所取りのキャラクター構成となっており、どちらの客層もアトラクトできるよう上手く創られている。

また、この視点で『けいおん!』などの日常系アニメを眺めると、男性のジェンダー・ロールから遠く離れた“女子高生のキャッキャウフフ”という女性のジェンダー・ロールに好適なコンテンツである事に気付く。女性だけのかしましさが、ここでは重要な消費対象となっている。

3.“異性キャラクター”が帯びている、想像力の脱臭・純化機能
このように、男性オタク達も“やおい”に近い消費スタイルを確立させた。カップリングを想像させる台詞や構図さえあれば誰でも“くっつけ”、ヤマもオチもイミもない“薄い本”が大量に流通する有様も、いよいよ似ている。もちろん、古典的なエロも不滅だろうが、“少女同士のキャッキャウフフ”や“お姫様願望”をみたす百合的なカップリングのニーズは、もはや少数派のニッチな楽しみではない。

そして性別を越境したキャラクターへの感情移入には、もうひとつ、重要な機能がある。それは想像力の脱臭と純化だ。自分が詳しく知らない性別であることが、ここではプラスに働く

例えば男性オタクが男子中学生の主人公に感情移入する際には、自分自身が男子中学生について知っている知識や経験が(良くも悪くも)ついて回る。それは粗暴で制御不能の暴力かもしれないし、体育の授業の後の体臭かもしれないし、子どもっぽい所作かもしれないが、嫌なことを知っていれば知っているほど、そのぶん想像力が悪い意味でリアルに近づいてしまう。

ところが女性オタクが男子中学生に感情移入する場合、そういった知識や体験によって想像力を制約されずに済む。暴力も、体臭も、子どもっぽさも、知らなければ無視することも都合良くアレンジすることもたやすい。*3 このような、想像力の脱臭と理想化は、現実の男子中学生について知らなければ知らないほどスムーズに進む。

*3:たとえ兄弟のいる女性であっても、四六時中兄弟のことを観察しているわけではないうえ、気に入らない部分は「うちの兄(弟)だけのダメな悪癖」とでも決めつけてしまえばこうした問題はクリアーされる。少なくとも、自分の性別に関して知っている以上に詳しく異性を知ることはあり得ない

同じく、男性オタクが女子中学生のヒロインに感情移入する際にも、現実の女子中学生にありがちな“欠点”を知らないほど、無視するなり理想化するなり、好き放題に楽しむための敷居は低くなる。特に女子とコミュニケーションがなかった男性であれば、かえって何の妨げもなく女子中学生ワールドを理想化して耽溺(たんでき)できよう。

もちろん、ここで必要とされているのは「私が想像したい理想の男子」「俺が想像したい理想の女子」であって「本当にリアルな男子」「本当にリアルな女子」ではない。

ときに、『らき☆すた』や『けいおん!』がリアルな女子高生の生活から乖離(かいり)しているからダメだという批判を目にすることがあるが、これは的外れな批判であり、コンテンツとキャラクターの担っている機能を理解していないと言わざるを得ない。“女子学生のキャッキャウフフ”を望みどおりに膨らませ、自己耽溺(たんでき)なり観察なりを楽しみたい消費者にとって、リアルから乖離(かいり)しているからこそ良いのであって、なまじ、リアル臭い作風では、想像が妨げられるだけでなんにも面白くないのである。おそらくこれはやおいについても当てはまり、異性キャラクターによる脱臭作用の弱い、やりとりが写実的すぎる作品はやおいに向いていないと推測する。*4

*4:そういう意味では、戦い・冒険・ファンタジー・スポーツを専ら描き、キャラクター同士の思わせぶりな台詞に充ちた少年漫画的な作品群が、しばしば「やおい」向け作品として秀逸な成果を挙げるのは、当然なのかもしれない。作品内の情報の大半がバトルや非日常で埋め尽くされ、キャラクターの関係を示唆するシーンが標識的にポツポツ登場するだけで、コミュニケーションの写実性は重視されていないのだから。

結び;少女の濫費状態はいつまで続くか?

ここまで述べてきたような理由が重なった結果、古典的で男性的なニーズとジェンダー的屈折を含んだ女性的ニーズのどちらにも対応できるコンテンツがヒットしやすい、現在の男性オタク界わいの風景が現れているのだろうし、これほど大量の少女が多様に消費されているのだろう。1.の理由を欠いていれば、界わいはもっと百合・レズ作品に満ちあふれた風景になっていただろうし、2.の理由を欠いていれば、もっと単純に美少女所有願望を充たすばかりの風景となっていたかもしれない。消費者側の心理的ニーズの微妙なバランスのうえに、男性オタク界わいの少女の消費情況は成立している。

では、こうした少女の消費状況はいつまで続くのだろうか?
少なくとも当分の間はそうだろうと私は考える。なぜなら、
1.目下のところ、男性のジェンダー・ロールへの忌避が軽くなるような社会変化が起こっているようにはみえない
2.“やおい”の世界と異なり、男性オタクはなかなか足を洗わず平均年齢が高くなりやすい

からだ。

新たにオタク消費者になるような男性において、男性のジェンダー・ロールに嫌気を感じる可能性が低下しておらず、かつ、これまで界わいを支えてきた男性オタク達が当分オタクを続けるとすれば、少女が湯水のように消費される状況はそれほど急には変わるまい。そろそろ男性キャラクターの復活を期待しても良い時期になっているような気がするけれども、こと深夜アニメやライトノベルの界わいに限って言うなら、その日はまだ遠そうだ。

※なお、このテキストはblog用にまとめたものです。もっと細かく読んでみたい方は、以下をどうぞ。

「なぜ少女が湯水のように消費されるのか――男性オタク界わいにおけるキャラクター消費状況――」2011年05月16日『適応の技術と技法』
http://shirokumaice.sakura.ne.jp/girl_needs.htm

執筆: この記事はp_shirokumaさんのブログ『シロクマの屑籠(汎適所属)』からご寄稿いただきました。

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