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第12回 呪文のなかのラテン(その1)

筆者:
2011年9月22日

次に扱う問題は,第10回で挙げた問題その3,すなわち,真正型呪文を導入すると魔法の数だけ呪文を作らねばならないが,それにふさわしい方法はないか,というものです。ランダムに得体のしれない呪文をたくさん作ろうとすると,すぐにネタが切れてしまいます。だから,呪文作成に一定のパタンがあったほうがいい。また,いくら真正型呪文を用いるとはいえ,あまりに訳の分からない呪文ばかり出てくるようでは,読者はうんざりするかもしれません。どうしたらいいでしょうか。

作者のJ. K. ローリングはことば遊びを導入することで,この問題をエレガントに解決しました。その方法について考えてみましょう。

まず,シリーズで用いられているポピュラーな呪文をいくつか挙げてみます。オーディオブック(Stephen Fryの朗読)での発音をかな書きで表記しておきます。

(16) a. Petrificus Totalus (ペトリフィカス・トータラス)
  b. Expelliarmus (イクスペリアーマス)
  c. Expecto Patronum (イクスペクトー・パトローナム)
  d. Wingardium Leviosa (ウィンガーディアム・レヴィオーサ)
  e. Obliviate (オブリヴィエイト)

(16e)のobliviateを除けば,英語らしい発音や綴りは見当たりません。とくに語尾が違います。-usや-umで終わるものが多く,また,子音で閉じずに母音で終わるものも多い。これは,『ハリー・ポッター』の呪文がラテン語を模しているからです。英語でよく知られているラテン語のフレーズと(16)を比べてみましょう。

(17) a. magnum opus (マグナム・オーパス/最高傑作)
  b. vice versa (ヴァイス・ヴァーサ/逆もまた同様)
  c. status quo (ステイタス・クオー/現状)
  d. Cogito, ergo sum. (カギトー・アーゴ・サム/我思う故に我あり)

カタカナ表記したのは,英語での発音です。ラテン語の発音はこれと少し異なりますが(たとえば,vice versaはウィーケ・ウェルサとなるようです),ラテン語を知らないふつうの英語話者にとっては,英語式発音のほうがなじみ深いはずです。英語式の発音と言えども,じゅうぶんエキゾチックな趣きがあります。

語尾が-usや-umだったり,母音のaやoだったりしていますし,音の響きがよく似ていませんか。『ハリー・ポッター』の呪文は,意図的にラテン語に似せてあるのです。

実際,(16b)のExpecto Patronumは,守護霊を招来する呪文なのですが,ラテン語として文法的にも正しいそうです(あの,ラテン語は学生時代,2度ほど履修登録したのですが,やはり2度ほど途中で断念してしまったもので,伝聞のかたちでしか書けません…その,むずかしい文法を前期だけですべて終えて,後期は講読をするというたいへんハードな授業だったもので…)。

ラテン語はその昔,ローマ帝国の力が及んだ地域で広く話され,ヨーロッパでは中世以降も学問の共通言語として使われていました。今でも,生物学の学名などにラテン語は生きています。ラテン語には,時代が古く(由緒正しく),高尚で学問的なイメージが,もうひとつついでに言うと,活用が複雑でとってもむずかしいイメージが,ついて回ります。つまり,真正型呪文としての「らしさ」を出すのにうってつけなのです。

筆者プロフィール

山口 治彦 ( やまぐち・はるひこ)

神戸市外国語大学英米学科教授。

専門は英語学および言語学(談話分析・語用論・文体論)。発話の状況がことばの形式や情報提示の方法に与える影響に関心があり,テクスト分析や引用・話法の研究を中心課題としている。

著書に『語りのレトリック』(海鳴社,1998),『明晰な引用,しなやかな引用』(くろしお出版,2009)などがある。

『明晰な引用,しなやかな引用』(くろしお出版)

 

『語りのレトリック』(海鳴社)

編集部から

雑誌・新聞・テレビや映画、ゲームにアニメ・小説……等々、身近なメディアのテクストを題材に、そのテクストがなぜそのような特徴を有するか分析かつ考察。
「ファッション誌だからこういう表現をするんだ」「呪文だからこんなことになっているんだ」と漠然と納得する前に、なぜ「ファッション誌だから」「呪文だから」なのかに迫ってみる。
そこにきっと何かが見えてくる。