伝言ゲーム防止:フィルモアの「文→モダリティ+命題」について


「文」の構成素を大きく「モダリティ」と「命題」にわける古典的な文献として Fillmore (1968) "The case for case"*1 が引用されることがあります.次の規則がそれです:

28. Sentence → Modality + Proposition
28'. S → M + P [fn.30]

この字面だけをみると,「文はモダリティと命題から構成される」と述べていることは間違いようもなく明らかなように思えます.

 ところが,フィルモアがいう「命題」と「モダリティ」の定義はいま普及しているものとかなり異なります.

 彼のいう「命題」「モダリティ」はそれぞれ次のように説明されています:

そうすると,文の基本構造には「命題」と呼べるものが見つかる.これは動詞と名詞(および場合によって埋め込み文)からなるさまざまな時制抜きの関係の集合であり,「モダリティ」と呼べるものから区別される.文全体にかかるモダリティには否定・時制・叙法・アスペクトといったさまざまなモダリティが含まれる.モダリティ構成素の正確な特質は,本稿の目的にとっては無視しておいてよい.ただ,格のなかにはたとえば時の副詞のように命題そのものに関連しているものがあるのと同様に,モダリティ構成素に直接関連している「格」が存在することは大いにあり得る.


(In the basic structure of sentences, then, we find what might be called the 'proposition', a teseless set of relationships involving verbs and nouns (and embedded setences, if there are any), separeated from what might be called the 'modality' constituent. this latter will include such modalities on the sentence-as-a-whole as negation, tense, mood, and aspect. [fn.28] The exact nature of the modality constituent may be ignored for our purposes. It is likely, however, that certain 'cases' will be directly related to the modality constituent as others are related to the proposition itself, as for example certain temporal adverbs.[fn.29])


(Fillmore 1968: 23)


改めて書くとこうですね:

  • 命題:動詞と名詞がなす時制抜きの関係(いまでいう項-述語構造に相当)*2
  • モダリティ:アスペクト・時制・否定・叙法などを含む範疇


他方で,いま普及している「モダリティ」はしばしば「テンス・アスペクト・モダリティ」(TAM) などと言われるように,時制・アスペクトを含まない範疇として定義されています.他方の「命題」もこれにともなって定義が異なっています(しばしば命題が時制節・定形節に対応する範疇とされている点をここで想起しておくとよいでしょう).

 このあたりをうやむやにした研究史の整理には注意した方がいいように思います.書いている側はこのあたりのちがいを承知した上で省略しているのであっても,読む側は定義の相違に気づかずに思わぬ誤解をしてしまいかねません.

 少なくとも,「文の意味はモダリティ=主観的・非真理条件的成分と命題=客観的・真理条件的成分とに大きく分かれる」という説の元祖としてフィルモアを引用するのはまったく見当外れです.否定が真理条件に寄与しないなんてことはありえませんからね(^^

*1:「格文法」の記念碑的な論文.Fillmore, Charles, "The case for case," in Emmon Bach and Robert T. Harms (eds.) Universals in Linguistic Theory, New York: Holt, Rinehart and Winston, 1968, pp.1-88.

*2:フィルモアがこうした定義での「命題」を仮定した動機はすぐにおわかりでしょう:表層で具現する形式(格)が異なっていても2つの文に同じ項-述語構造が表されていることがあることをとらえるために「命題」という範疇が要請されたわけです.