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劣敗者の人生觀

有坂 秀世

江戸時代に於ける數ある學者の中でも、その一代の業績の豐富な點に於て、恐らく新井白石と本居宣長との二人の右に出るものは少からう。一口に言へば、白石は儒者であり、宣長は國學者であるとは稱せられるものの、昔は今日程には研究が特殊化してゐなかつたから、彼等の究むる所も亦甚だ廣範圍に亘り、哲學・宗教・文學・歴史・政治・經濟・天文・地理・博物等に遍く通じてゐたのである。而も、その著書の何れの一册を取つて見ても、博引旁證至らざる隈無く、思索亦綿密であつて、百年二百年を經た今日に於ても、學者の以て範とするに足るものがある。彼等は決して有閑の大名でもなければ富豪でもなかつた。白石は貧窮の浪人から起つて國政に參與し、その公的生活は多忙を極めたにも拘らず、その餘暇を以て能くあれだけの學的業績を遂げ得たのである。宣長亦一個の市井の醫師たるに過ぎない。書籍の刊行も少く、辭書や索引も具らず、大學や圖書館も無かつた當時に於て、限りある資産と餘暇とを活用して、一生の間に、質と量とを兼備したあの大事業を完成したことを思へば、その精力の絶大なる、實に天才と言はうか何と言はうか、ただ驚歎の外は無いのである。

これは私のかねがね懷いてゐた感想であつた。而も、驚異の念は、その事蹟や著書に親めば親む程、年一年と深まるばかりである。然るに、この感想を或知人に語つて見たところが、その返事は次の通りであつた。「ええ、そこには要領といふものがあつてね、あゝいふ連中だつて決して本を隅から隅まで見てゐるわけぢやない。ただ要領よく所々讀んで引用するだけの話ですよ。」と。帝大國文科を出て或所に勤めて以來十年、孜々として仕事に勵んで來た人である。周圍の評判は頗るよいのであるが、自分ではもう仕事に少しも興味が持てない。自分の平凡さは自認してゐるけれども、いつまでたつても同じ地位に留まつてゐなければならないことが不滿でたまらない。堪へ難い生活の單調さ。ただ少量の酒と駄辯とハイキングばかりが、彼の鬱憤を慰めるよすがである。彼は、私がいつも古本屋を見て廻ることを知つて、私に言つたことがある。「私にも前には古本に興味を持つたことがありますよ。けれど、この頃は本屋がみんな利口になりましてね、掘出物などはなかなか出來ません。つまらないから古本あさりは止めました。」と。言ふまでもなく、我々が古本をあさるのは、研究資料を求めるためである。従來の人の捨てて顧みなかつた雜書の中から、我々の眼識を以て、眞に學術的價値のあるものを見出すためである。ところが、この人の古本あさりたるや、結局何のためにやつてゐるのか分らない。ただ、古本屋の過失から不當に安く値をつけた書物を探しあてて、掘出物と稱して喜ぶだけのことである。もつとも、さればとて、それを他の本屋に轉賣して儲けようといふ程の氣があるのではない。固より金には困らない人である。買はれた折角の「掘出物」は、讀まれもせず研究もされず、ただ死藏されるばかりである。かやうな人々は、ただその日その日を送つて行くことを知るのみで、向上といふことを知らない。積木を疊の上に撒き散すやうな生活は知つてゐるが、上へ上へと積み上げて行く生活を知らない。彼等はそれを理解することも出來ないし、又理解しようとも力めないのである。

かやうな人々の根本的な誤は何處に存するか。思ふに、彼等がただひたすら「要領よく」世を渡ることを生活方針としてゐる點に在る。勿論、何人にとつても、事を要領よく處理するのは望ましいことであるし、又、現に白石や宣長の業績を見ても、その研究の要領のよさは驚くばかりである。併しながら、我々は、偉人の業績を見る際、徒らにその「要領のよさ」をのみ羨望してゐてはならない。更にその「要領のよさ」の根底に存する所の、燃えるやうな研究心、求道心に着目しなければならない。「求める心」こそ生活の根本動力である。倦まず熱烈に求める心があつてこそ、その仕事にも自ら熟練を生じ、熟練を積むにつれて、仕事を要領よく處理して行くことも出來るやうになるのである。例へば、未熟な間は十遍讀まなければ理解出來ないやうな難解の書でも、練達を經た後には唯一回通讀するだけで容易にその要點を把握し得るやうになる。從つて、結果に於ては時間の節約ともなり、短い一生の間に非常に大きな業績をも擧げ得るやうになるのであらうと思ふ。偉人の業績の上に見られる「要領のよさ」は、熱烈な研究心、求道心の自然の結果として生じたものである。我々の憂ふる所は、ただ自身に「求める心」の缺乏してはゐないかといふことのみである。その他は深く意とするには足らない。例へば現在の自分の仕事が甚だ未熟でぎごちないとか、他の人のやうに要領よくやつて行くことが出來ないとかいふ風な枝葉の問題は、經驗を積むにつれて自ら解決して行くものである。我々の心掛くべきことは、所謂「要領よく」やつて行くことではない。「獅子は兎を捉へ象を捉ふるに皆全力を用ゐる。」といふ気持を以て、各瞬間に全精力を集注することである。

眞面目に求める心の有る人は、ひたすら眞理の追求をのみ念としてゐるので、仕事の巧拙や要領のよさ惡さなどは深い關心事とはならない。それ故、最初の間は、その仕事は多くは拙劣であり、世人の軽蔑する所となる。併しながら、經驗を積むこと久しきに及べば、その技能は知らず識らず圓熟して、他人の模擬し得ないやうな立派な業績を擧げ得るやうになる。之に反して、所謂「要領よく」世を渡つて行かうとする人は、着眼點が仕事の巧拙に在るので、そのなすことは一見頗る手際よく、世間の受けもよいのであるが、その仕事も、その人の人格内容も、結局一つ所に停まつてゐて、進歩も向上も無い。従つて、たとひ世間に評判はよくとも、その人自身は倦怠に堪へず、精神的萎縮を來すやうになる。「求める心」に燃えてゐる人の生活は、終始絶えざる創造の生活である。それ故、世間からはどんなに軽蔑されてゐても、自分の心の底には溌溂たる喜びがある。之に反して、「要領よく」世を渡らうとする人の生活は、何一つ獨創の無い慣習的生活、模倣的生活である。彼は、ただ、この世に生れて來たから、已むを得ず生きて行くに送ぎない。

ところで、更に惡いことには、この種の所謂「要領よく」やつて行く人にしても、人間である以上は、人に負けるのはいやである。それ故、眞面目な成功者、殊に古の偉人については、なるべく之を低く評價し、その努力を平凡化することによつて、自ら慰安を求めようとする。これについては、かつて一高在學中に伺つた春山作樹博士の御話を思ひ出す。例へば女學生は相互に他の女學生のことをどんな風に考へてゐるか。「あの人は身なりは立派だけれど、器量は私の方が上だ。」とか、「あの人は學問は出來るけれど、あの人のお父さんよりは私のお父さんの方が身分がいい。」とかいふ風な工合に、めいめい何らかの點で自分が相手より優れた點を見出すことによつて、自負心を滿足させようと力めてゐる。それと同樣に、役人は役人として、學者は學者として、商人は商人として、勞働者は勞働者として、それぞれ何らかの點で自負心を滿足させてゐるから、世が泰平に治まつて行くのだ、といふ御話であつた。かやうなわけで、役人には役人としての人生觀があり、勞働者には勞働者としての人生觀がある。既に然る以上、劣敗者には又劣敗者としての人生觀が無いわけには行かない。即ち、彼等は、古の偉人の業績を見ては、ただ「要領よくやり居つた。」と思ひ、偉人を強ひて彼等同樣の凡人と見做すことによつて、無意識的に自己滿足を求めようとしてゐる。私はかくの如きものを名付けて「劣敗者の人生觀」と呼ぶのである。我々が古の偉人に對する態度は、斷じてこんなものであつてはならない。己を虚しうして事實を直視すれば、畏敬の念は停めんとしても停め難きものがある。我々は、決して自ら欺くこと無く、その人格の畏敬すべきを畏敬し、その業績の驚歎すべきを驚歎して、その因つて來る所を念ひ、我等も亦その足跡を慕つて一筋に精進すべきである。(終)

— 『三學會』第十三號。大正大學專門部高等師範科、昭和十五年一月。/慶谷壽信『有坂秀世研究:人と学問』(『KOTONOHA』単刊No.4、古代文字資料館、2009年、299-297ペ)