「社会が悪い」か「自己責任」か。

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今回はKenさんのブログ『Tokyo Life』からご寄稿いただきました。

「社会が悪い」か「自己責任」か。

非正規雇用が増えたり、幼児虐待事件が起きたり、あるいは無差別傷害殺人事件が発生したりすると、テレビに出てくるコメンテーターとかいう識者然とした人たちが、「国が悪い、社会が悪い」という話をしたり顔でおっしゃる。他方でネット上のコメントを見てると、当事者をわらい、嘲り、「自己責任」だとたたく声があふれている。

どちらの両極端にも違和感があるんですよね。

世界や社会、政治経済のトレンドは最終的には個々人が生活、人生を生きていく上での出来事に織り込まれて表出するわけで、たいていの場合、自分自身に起きた事件は、自己の事件であり社会の事件であるという両義性を持っているのだと思うんです。

非正規雇用だの雇い止めだので先行きが見えない、という声に対しては、「正社員になればいいいだろう」「お前の努力、能力が足りないからだ」というありきたりな批判では済まないことはもう、共通の理解だと思います。社会、政治経済が非正規雇用を要請し、すでに労働者の3分の1なんていう数が非正規雇用になってる。

だれが正社員でだれが非正規雇用になり、だれが自営業者でだれが資本家になるか、というのは個人の資質や努力、住んでいるところ、育った家庭環境などに影響され、非正規雇用に甘んじているのは自己責任だと言える部分もありますが、他方、社会が非正規雇用という形態を要請し、労働者の一定の割合が非正規雇用を選ぶように仕向けられているというのもまたそのとおりで、「私が非正規雇用である」というのは私の事件であり、社会の事件です。

幼児虐待事件のニュースを見ると、ホントに凹むし、虐待した親は獣以下だと憤りを覚えます。マスコミもそういう風に扇情的に報じる。しかし、虐待した親を罵り厳罰で対処する、すなわちその親の「自己責任」で片付けてしまうだけでよいのかという疑問も残ります。その虐待が起きた家庭の置かれた状況はどのようなものだったのか。救いがなく助けを求めることもできない状況、暴走を止めることもできなかった状況とはどういうものだったのか。そういう状況を生んでしまった社会環境とはどうだったのか。

「たとえどんなに厳しい状況であったとしても、子どもをあんな風に虐待することはあり得ない」そう考える人も多いでしょうし、私もそのひとりですが、中には、それが稀(まれ)だとはいえ、ある社会状況の下では幼児虐待事件に至ってしまう家庭もあるわけです。

非正規雇用のように労働者の3分の1とかいう高い確率ではないにしても、わずかな確率ながら起きてしまう。幼児虐待事件を呼び込むのはその親の資質や経済状況など「自己責任」の部分も大きいとはいえ、社会の事件であることも否定できないと思うのです。

「なんとなくむしゃくしゃして」「やり場のない怒りで」引き起こされる無差別殺傷事件は、幼児虐待事件以上に発生件数が少ない事件だし、その動機と行為を正当化するのは難しい。同情の余地も少ない。でも、その犯人の性格や資質だけに発生原因のすべてが還元できるかというと、そうではないと感じる人も多いのではないでしょうか。だからといって社会が悪い、国が悪いと一足飛びにはいかないけどね。大方の人はそんな事件は一生起こさないし、起こそうとも思わないわけですし。

しかし、陳腐な言い方をすれば、社会のゆがみが一番弱いところで破断する、という側面があるのも確かだろうと思うのです。“一番弱いところ”になったのは自己の責任だし、“破断する”のも自己の責任でしょうが、社会の緊張がその犯人のところにも蓄積してたのは事実でしょう。

幼児虐待とか無差別殺傷とかは感情が入りすぎるので、たとえば交通事故について考えてみる。

交通事故に遭うのは大方自己責任だと言われてしまう。たしかに、前方不注意だの脇見運転だのっていう自分の心がけ次第で防げる事故も多いと思う。でも、年に5000人くらい交通事故死しているのは日本が車に依存した社会であるからだ、とも言えるのではないかと。そして、現に交通ルールを改定したり、警察が取り締まりを強化したり、飲酒運転撲滅の機運が盛り上がったりしたことで、交通事故死は減ったんです。

つまり、国、社会の側が対応したことで交通事故死は減った。個別の交通事故は自己責任ではあるんだけど、一歩引いて統計的に見てみると、交通事故は社会的事件でもあるという証左ですよね。今の日本社会は、事故を起こしやすい人(と、運の悪い人)5000人が交通事故で命を落とす“社会”。その5000人に入るか入らないかの違いは自己責任に還元される部分も多いけど、そもそも車“社会”が原因である面も否定できない。

と、だらだら書いてますが、特にこの状況に対して処方箋を思いついたわけではないです。ただ、「国が悪い、社会が悪い」か「自己責任」かどちらかというのは命題の立て方がおかしくて、現実には政治経済や社会の影響は個人が遭遇する個人的な事件に織り込まれて表出するもんだよね、という話です。そして、事件を個別的に見れば「自己責任」が問われるものであっても、統計的に見れば政治経済や社会の影響があるのが分かる。

鎖を引っ張って切れたら、「鎖を引っ張ったのが悪い」のか「この輪のところが弱かったのが悪い」のか。答えは「どちらも」なのではないかと、考えてみればごく当たり前のことを思うのです。

執筆: この記事はKenさんのブログ『Tokyo Life』からご寄稿いただきました。

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