JR小海線 ~旧中込学校と・・・

2008-08-23 23:57:30 | 鉄道紀行&乗り物


 長野県佐久市中込に、明治8年(1875)に建てられた日本最古の洋風学校=旧中込学校がある。明治維新からいくらも経っていないのに、このような斬新な、しかも単なる物真似ではない和洋折衷のモダンな建物を、地元の人々の寄付と地元の大工さんの力を結集して建ててしまったのだから、非常に痛快だし、正直驚きに値する。大正8年に新校舎が建てられるまで(手狭になったため)、ここで学んだ小学生を羨ましく思うが、新校舎完成以後は町役場に転用されるなど、長きにわたって普通に愛された建物だったことが素晴らしい。
 当時は珍しかったステンドグラスやガラスを窓に用いたため、旧中込学校は西洋づくりの「ギヤマン学校」と呼ばれ、多くの人々が見学に訪れた。中央には八角形の鐘楼があるが、天井から吊るされていたのは何と和太鼓!だったので、太鼓楼と呼ばれた。時間が来ると、これを鳴らして時を告げていた。玄関&バルコニーはルネッサンス式だが、石造り建築の手法を木造建築に応用した和洋折衷のスタイルが、独特の魅力を醸し出している。


                   

 中込駅は、連絡駅の小淵沢&小諸を除けば沿線で一番大きな駅だ。特に目新しいことは何もないけれど、非常に開放的な気分になる駅で、大いに気に入った。旧中込学校へは、地図なしで歩ける。どうしたことか、駅から徒歩5分のところにあると勝手に思いこんでいた。実際は約15分、炎天下を歩いた。
(このときは、「どこが徒歩5分なんだ」と流れる汗にいささか腹を立てながら、どうして勘違いしたのか自問自答したが、受付でもらったリーフを今読み返して合点がいった。中込駅からは徒歩15分かかるけれど、隣の滑津駅から歩けば、確かに「5分」で着いたのだった・・・)




                   

 旧中込学校の太鼓楼が見えてくると、自然と早足になった。右手の桜と左手の見事な藤棚が花で満開になった頃に訪れてみたい。青空が似合うお洒落な洋館といった感じだが・・・


                   

 バルコニー側にある正面玄関から校舎の中に入る。玄関口の生徒控室と小使室以外は仕切りがなく、左側を講堂(左写真)、右側を第一教場(右写真)として使用していた。講堂にはオルガンが、教場には学習机と椅子が並べられていた。ステンドグラスが美しい。


        

(左)2Fは三つの教室と教員室、教員控室、校長室に分けられていた。
(右)講堂と教場を隔てる廊下から玄関を振り返る。


      



      

 隣の児童公園(成知公園)には、二両の車両が置かれ、腕木式信号機(国立に、庭木と一緒に腕木式信号機を植えた!個人宅があって、公園の信号機を見たとき、中込にも「好きもの」がいた!と勘違いした)もあるミニ鉄道公園だった。
 野辺山同様に「高原のポニー」(C56-101号)が静態保存されていたが、もう一両のこげ茶色の車両も貴重な鉄道遺産だった。但し書きがなく、「鉄」知識の乏しい自分は、機関車に引かれていた客車だろうと考えたが、これが何と、佐久鉄道のキホハニ56起動車だった! ということは、どんなに新しくても昭和九年以前の車両ということになる。こうした車両がゴロゴロ転がっているのは大いに結構だけど、こんな風にフェンスに囲まれていなかったら、もっと良かったのに・・・。


                   



 中込駅に戻ったら、12時13分発のキハ110がスタンバイしていた。涼しい車内で「高原野菜とカツの弁当」の包装をほどき、ブログ用に写真を撮っていたら、構内に飾られている各種ヘッドマークに気がついた(上の一枚)。
 この駅に着いたとき、どうしてこの駅を気に入ったのかよくわからなかったが、木造駅舎の構内に並べられた思い出のヘッドマークや、屋根に付けられた明かりとりなどが「優しさ」を演出していたのかもしれない。「おおっ」と歓声を上げたニワトリさんは弁当を広げたまま、ヘッドマークを眺めにホームに降りて行った。夢中になって写真に収めていると(続く二枚)、背後のキハ110が発車のベルも鳴らないのに(そういえば、小海線では「駅メロ」を聴いた記憶がない)突然動きだした!
 「えっ?」と思った次の瞬間、我に帰って車両に駆け寄り、無我夢中で乗車ボタンを押した。弁当だけ先に行ってしまったなら、「またしても、高原野菜とカツの弁当を食べ損ねた」だけだが、荷物も車内に置きっ放しなので、置いていかれると非常に面倒なことになる・・・都内の電車だったら止まってくれるはずがないが、奇跡的に?止まってくれ、「しょうがないな~」と言わんばかりにドアが開いた。ニワトリさんは、「すみません、すみません」と、小刻みに頭を下げつつ座席に戻り、胸を撫で下ろしてから何ごともなかったかのように弁当を食べ始めた。おいしかった。
(これが、予告した?「弁当事件」でした)


                   

(左)佐久平駅は新幹線の開業に際して高架になった。普通は新幹線が高架になるのだが、佐久平では在来線が高架化されて新幹線を跨いでいる。「邪魔だから、どけっ」ということだろうが、新幹線を上から見下ろす気分は、なかなか痛快だった。
(右)野辺山から800m近く高度を下げてくると、景色もレタス畑から稲田に変わる。乙女駅を過ぎれば近郊線と同じ景色になり、終点の小諸も近い。


 年季の入った可愛い学習机。何人の小学生が座ったのだろう? 自分が通った国分寺第二小学校にも、木製の二人掛け学習机が、木造旧校舎にあったと思う。その当時は、新校舎の方がきれいで好きだったが(特にトイレが「ドッポン」便器で、とても臭かった)、今では旧校舎の方が懐かしい。東京都内なのに、中学2年まで冬は石炭ストーブを焚いていた・・・(もちろん、冷房などない)


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