指導教員や先輩のお茶目/しょうもない点を早めに把握しよう

私の所属研究室だけかもしれませんが、4年生(あるいは修士から研究を体験する学生)は、卒業研究の期間中に、生まれてから今までに受けたことのない量と質の質問を受けます。卒業研究を終えた学生曰く「『なぜ?』『どうして、そう考えたの/思ったの?』については、一生分の質問をこの一年間で受けたかもしれない」とのこと。多くの学生が「質問される=批判される・否定される」と感じて、プレッシャーやストレスに感じることが多いようです(少なくとも私や私が見てきた学生はそうでした)。

また、卒業研究も教育の一環ですから、必ず発言、表現、行為に対しての批判および強制が行われます。研究能力の発達段階批判対象は「行為」「発言」「表現物」としようでも書いたとおり、卒論生は「自分自身」と自分の「発言」「表現」「行為」の切り分けができていません。このため、「発言」「表現」「行為」に対する批判を自分自身への批判と受け取ってしまい精神的にきついことが多いようです。

この「自分自身」と自分の「発言」「表現」「行為」の切り分けができるようになったとしても、やっぱり批判は精神的にきついです。特に、研究においては指導教員は十数年〜数十年の研究のベテランですし、先輩たちも数年分は研究の経験があります。そうなると、研究についてのほとんどの場面で、卒論生はダメだしされることになります。責められっぱなしの状態は精神的にとてもきついです。

そこで、私がお勧めしたいのは、このような状態になったとしても心のどこかで「まあ、これは『研究』に関してだからこういう風に言っているだけだな」と思える状態にしておくということです。すなわち、心に余裕を持っておくということです。

一番まずいのは「先生/先輩に〜といわれている私は本当にだめな人間だ。」というように、自己否定に入ってしまうことです。自己否定は未来につながらないので役にたちません。自分の場合をおもいだしてみても、自己否定したからといって否定した部分が強制された記憶がありません。開き直って終わったような気がします。

で、余裕を作るためには、指導教員や先輩のお茶目/しょうもない点を把握しておくと必要があります。これを把握しておくと「そんなこと言っても〜の時は、こいつはしょうもないやつだからな」とか「えっらそうに、〜するときは・・・な癖に!」とか、「まあ、こんなに立派なこといっているけど、〜のときは単なるファンだからな」などと、ちょっと上から目線な認識をして、精神的にガス抜きできます。

私の所属研究室では、教員のお茶目/しょうもない点を学生に把握してもらうために、卒論生のゼミ合宿参加を義務付けています。一緒に旅行していれば、教員も人間ですから学生は楽に10個や100個のお茶目/しょうもない点を見つけ出すことができます。ちょっと歩くとへばるとか、食べ物の好き嫌いが激しいとか、猫好き、犬好き、山好き、海好き、女好き、男好き、酒好き、グルメ、貧乏性などなど。そういう点がみつかると、「絶対の権威」としては扱えなくなります。「絶対の権威」でなければ、精神的にはどうにか許容できるものです。

もう、9月も半ばを過ぎ怒涛の後期が始まりますが、まだ、教員や先輩のお茶目/しょうもない点を把握していない方は、ランチ、レクリエーション、飲み会、タバコ吸いタイム、お茶タイムなどを駆使して、教員や先輩のお茶目/しょうもない点を把握しましょう。