HDD「容量無限」へ一歩 新発見の現象、世界が注目
日ロの理論物理学者が研究成果
日本とロシアの理論物理学者が発見した新たな物理現象が世界的な話題になっている。コンピューター計算に基づく研究結果で、新現象を再現できる材料を開発できれば、パソコンやテレビのハードディスク駆動装置(HDD)の容量を無限大にできる可能性があるという。
「容量無限のHDDへ一歩」――。今月4日、新聞で報道された途端、九州工業大学の岸根順一郎准教授(43)に研究結果への問い合わせが相次いだ。「早速HDD業界から講演を依頼された。自分の研究に対して企業が連絡してきたのは初めて」(岸根准教授)。共同研究者であるロシア・ウラル州立大学のアレキサンダー・オブチニコフ准教授(41)もテレビや新聞で紹介され、驚いているという。
岸根准教授らが発見したのは、特殊な磁気構造の材料に外部から磁力を与えると、磁力の増加に伴って電気抵抗が極端に増減するという新しい物理現象。コンピューターを使った理論計算で導き出した。現在の記録媒体は情報を「1」「0」の2種類の信号(ビット)で蓄えるが、「新理論を応用すれば、(信号の種類が無限となる)無限ビットを実現できる可能性がある」(岸根准教授)。
この新現象は電子の回転でできる微小な磁石(スピン)がらせん状に並んでつながった「カイラル磁性結晶」と呼ぶ材料で生じる。結晶中の原子と原子の間隔は10分の数ナノ(ナノは10億分の1)メートルで、原子が数百個並んだ数十ナノメートルの周期でらせん状の磁性が現れる。
らせんの進行方向と垂直な方向から磁力を与えると、その増加に伴ってらせんの周期がのびる。らせんと同じ方向に電子を流すと、らせんの周期と電子の波の周期が干渉。電子が定常波という状態になって進みにくくなり、電気抵抗が極端に増える。磁力をさらに高めて干渉が弱まると、電子が再び流れやすくなって抵抗が下がる。
今回、岸根准教授らは磁性材料に与える磁力を数十ガウス(ガウスは磁力の大きさ)から徐々に増やしていくと、抵抗が上がったり下がったりを繰り返すことを理論計算で突き止めた。この現象によると、記憶材料の1カ所に大量のデータを記憶させることができ、容量無限大のHDDが実現できる可能性があるという。
岸根准教授は新現象は結晶構造がらせん状の材料で現れると説明する。らせん状の材料は水晶、おの石、酒石酸など自然界にも数多く存在するが、磁性がなく容量無限大のHDDは作れない。それでも岸根准教授は「心配ない」と語る。カイラル磁性結晶はすでに合成済みで、あとは新現象を示すか実験するだけだという。
人工のカイラル磁性結晶は、マンガン・シリコン合金など少なくとも6種類が合成されている。同結晶を実際に合成した青山学院大学の秋光純教授や広島大学の井上克也教授らが岸根准教授の共同チームに加わっている。共同チームは年内にも、フランスのラウエ・ランジュバン研究所や大阪府立大学で実証試験を始める予定だ。
岸根准教授らの成果は米物理学会の論文誌フィジカル・レビュー・レターズ(電子版)に7月1日付で掲載された。専門家だけでなく、具体的な用途を期待して学界以外からも注目を集めており、基礎物理学の研究としては異例。岸根准教授は「理論物理学者として社会に希望を与えられるとしたらとても幸せ」と話している。
経済の活力が低下し、「日本発の新技術は減り、有望技術は流出するばかり」とあきらめる風潮がある。しかし、大きく育ちそうな新技術の種は存在している。ロシアのマスコミに新現象の産業応用を尋ねられたオブチニコフ准教授は「日本企業などがやってくれるだろう」と答えたという。研究の進展に期待が膨らむ。
(科学技術部 黒川卓)