朴倧玄『KARA、少女時代に見る「韓国」の強さ』

 数日前に紹介した稲増龍夫氏の日本経済新聞の書評で知った本。題名とはちょっと違い本書の前半の主役は少女時代。KARAについては少女時代ほど深くふれていないのでちょっと残念。いま個人的に関心がある韓国の女性グループアイドルはKARAだけなので。これについては高月本が今日読んだ三冊のKーPOP関連書の中では最も詳しい。

 本書には韓国の芸能事務所がアイドル候補にかける人的投資の額が平均5年で総額1500万円から2200万円。デビュー前の練習生にかける整形費用は70~140万円など興味深い数字を知ることができた。

 また「少女時代」は韓国版のデフレカルチャーの化身でもある。1997年の経済危機、リーマンショックの経済危機において貧富の格差が激化した。例えば著者によれば、「アジュンマ」(強い既婚女性)と対照的に思われる「10代」は「弱者世代代表」にみえるとのこと。

「弱者で純粋なイメージを持つ10代の子ども。だから、多くの人々が、彼女たち=「少女時代」を応援してあげようという気持ちになったのではないでしょうか」

と指摘している。あと日本では少女時代は「完全」にみえ、KARAの方が可愛い感じでうけやすいかもしれない、と著者は指摘しているが、確かにそうかもしれない。まあ、ここらへんはただの好みだが。

 しかし今日はK-POP関連の本を三冊読んだが、高月本が傑出していて、朴本、鈴木本は情報的にはそれを多少補う程度という印象。やはり西森さんの本を読んでしまったのでどうしても話題がダブルものは見劣りがしてしまう。

KARA、少女時代に見る「韓国の強さ」 (講談社+α新書)

KARA、少女時代に見る「韓国の強さ」 (講談社+α新書)

鈴木妄想『新大久保とK-POP』

 「新大久保ブーム」だという。その中核は、韓流ドラマや映画、K-POP、そして韓国料理やダンスなどへの若い女性を中心にした盛り上がりだという。確かにここ最近、大久保界隈に行く機会が多くなったので、コリアンタウン化している大久保の町並みの変化は激しいものに感じる。ただ休日や祭日に行ったことがないのでわからないが、それほどの大混雑なのかはわからない。なぜなら僕の知るかぎり80年代後半から90年代、そしていまに至るまで結構人ごみが激しい街だからだ。

 本書の前半三分の二は正直、ガイドブックのようだ。「新大久保の原宿化現象」であり、若い女性が中心であること。男性客も増えつつあることが多様な切り口から語られている。また『イケメンですね』のブームが語られているが、これは今日の高月氏の本のエントリーでも書いたが、韓国版の視聴率はそれほど傑出して高いというほどのものではない。「大人気」とか「人気がすざまじい」といわれても、少し疑問符が先行してしまう。クリーンヒット程度であり、一部のファンの熱狂を招いているというのが正直な感想である。

 本書の価値は後半の新大久保の歴史や、現在の多文化的な町並みになった大久保の変容とそこで生じている課題を扱ったところである。僕の記憶では、大久保がそれ以前の風景を劇的に変化させて、多国籍的になり始めたのは、80年代後半、世の中がバブル経済に突入する頃だ。そして90年代前半にこの多国籍化はひとつのピークを迎えていたように思う。本書でもそのことが語られていて実感レベルと親和的である。

 そのとき街がどのような課題をもっていたかまでは本書ではふれていない。現在のゼロ年代、しかもここ数年加速化しているコリアンタウン主導での多文化的な街ー大久保ーの課題、例えば在留外国人の子供たちの教育問題や中国人コミュニティなど地域との交流拠点やサポート体制の不備などはとても有益だ。特に中国人がコミュニティ形成に失敗していて(親戚や地縁などで閉塞的な関係性から一歩でてこない)、韓国人は成功し、それがいまのコリアンタウンの隆盛につながっているのではないか、という著者の指摘は興味深い。

 本書の最後に、フランス出身のコラムニスト、レジス・アルニー氏が、「教養も財力も高い東京圏の暮らしやすさは世界有数だが、文化発信力においてはソウルより影が薄くなりつつある」としている。他方で、アルニーは日本政府が文化発信の補助を、例えば日本のアニメについて行うことには懐疑的である。これも今日の高月氏の本のエントリーにもふれたが、確かに日本が国際的なメディアに登場する機会が(震災や原発を抜かせば)企業や産業への注目の低下として目立ってきているようだ。これはWSJエコノミストの海外版を検索すればすぐわかるだろう。

 対して本書の著者は、「国際競争力のある商品を民間が生みだし、その輸出を政府が支援しており、実際にその商品は国際的評価を受け、日本においても若者に受け入れられているわけである」として、ネットなどにある「K-POP人気は韓国政府の捏造だ」と攻撃する風潮をたしなめている。

 個人的には韓国のアイドルたちの海外進出の背景には、やはり本国での生活水準の低下があるように思われる(=相対的な日本の期待所得の上昇)。言い換えれば、海外への低廉な労働者の移動とみなしていい。

 例えば清野一治さんの「国際労働移動と国民経済厚生ー静学的影響ー」(『早稲田政治経済学雑誌』317号)を利用して、韓国のアイドルが日本のアイドル市場で活動した場合を簡単にみておこう。両国のアイドルたちに質の違いがないものと仮定する(実際には日本と韓国のアイドルの質は異なる可能性の方が大きいので以下の議論はその点を含めると変化する可能性がある)。また韓国のアイドルたちは日本のアイドル市場で雇用の点で日本のアイドルたちに比べて差別的な処遇をうけないとする。

 このとき、重要なポイントは、日本のアイドル市場の賃金構造である。いま日本のアイドル市場の賃金構造が硬直的であるとする。これは実際にそうなのかどうか実証しなくてはいけない。このとき日本では、賃金が硬直的なので国内のアイドル所得は不変である。例えばあるテレビ局が支払う出演料の総額が不変であるケースを想定する。韓国からアイドルたちが流入してくると、韓国アイドルたちはなんらかの雇用機会を得るだろう。これは同時に日本のアイドルたちの雇用機会を奪うことと同じである。そのために日本の経済厚生は悪化し、対して韓国の経済厚生は増加する。世界全体の経済厚生はどうか? 清野さんは、この日本のアイドル市場の賃金構造が硬直的ならば、世界全体(ここでは日本と韓国の二カ国の経済厚生を足すことと同じ)の経済厚生も低下する、すなわち日本が失うものが、韓国が得るものを上回るだろう、と指摘している。なのでこの場合、韓国そして日本双方のアイドルたちが自由に二国間を移動するのは望ましいとはいえなくなる。

 もちろん、では移動を禁止しろ、というのではない。問題は日本のアイドル市場の賃金構造が硬直的なことにある。アイドルたちを批判するのは間違いである。本当に硬直的かどうかは実証しなくてはいけない。もし仮に硬直的でなければ、つまり日本のアイドル市場の賃金が伸縮的なものであればあるほど、両国のアイドルたちの労働移動は、両国の経済厚生を高める。

 焦点のひとつは、実は日本のアイドルたちがどのような労働市場に直面しているのか、その解明ではないか、と思う。

新大久保とK-POP (マイコミ新書)

新大久保とK-POP (マイコミ新書)

本日の『夕刊フジ』の一面、二面で仮に「野田首相」になったらサラリーマン家庭はどうなるか、でコメントしました

「市場ダメ出し サラリーマンの敵!?」という見出しになっています。僕、片岡剛士さん、松野利彦氏、瀬川剛氏、熊野英生氏が採点表を提出しています。他に村上尚己さんもコメントを出しています。

 僕のコメントは記事の頭とクロージングです。はっきりいって辛辣です。ついでに、消費税を「現実的」という人がいて、その根拠は、「消費税を上げないと所得税をあげることになるから」というものです。これは増税ありきを「現実」とみなし、さらに増税するならば消費税が「現実」的という二段階の推論に基づくからでしょう。僕は何度も書きますが、増税ありきではないので、消費税をあげなければ所得税をあげる、などということを「現実的」などと思っていません。そういう観点の違いをみておくと採点表は興味深いものになるでしょう。

また二面では松下政経塾出身である野田財務相に、その政経塾関係者からの(愛を込めた)辛辣な批判が書かれています。評価は44点だそうです。赤点で不合格ですね。

高月靖『韓国芸能界裏物語 K-POPからセックス接待まで…禁断の事件簿』

 高月氏は着眼点と内容がとても面白いライターのひとりだ。『南極一号伝説 ダッチワイフの戦後史』はこの分野の“古典的名著”の位置にあるし、また『ロリコン』も日本のロリコン史という誰かがやっていてもおかしくないのに誰もまとめて解明していなかった分野をクリアに描いた好著だ。僕はてっきり高月氏はそういうサブカル系「だけ」に強いライターだと思ったが、この本で韓国の芸能界、そして社会、ネットの動向にきわめて深い見識と観察眼をもっていることが(僕が知らなかっただけなのだが)わかった。本書は特に、韓国芸能界のスターシステム、広告、契約形態やマネージメントの内実を具体的な数字を提示しながら書いていることもあり、一種の韓国経済の裏面史としても読むことができる。

 最近、K-POPや韓流ドラマが日本で過剰に喧伝されていると一部で批判を浴びているが、本書を読むと海外、特に最大の市場である日本に攻勢をかけないでは、韓国のアイドルたちの暮らしがなりたちにくくなっているK-POP業界の台所事情もよくわかる。なんといっても芸能人(特に歌手とモデル)の平均年収がかなりのスピードで低下していることもそれを裏付ける。日本と韓国で短期的な労働移動が可能であるならば、期待所得の大きい国(現在は日本)に来たがるのは当然ともいえる。ましてや韓国国内でのアイドルの期待所得がどんどん低下しているならば、日韓の格差はより開いていく。日本市場の魅力が韓国アイドルにとってはとても大きいものに見えるだろう。

 ところで日本ではかなり目立つKARAだが、彼女たちが日本で売り上げたCDとDVDの金額は13億円だという。かなり巨額なようだが、この頁によれば日本のCDとDVDなどの売上は約2800億円なので、KARAは約0.5%程度の売り上げである。K-POP全体のウェイトはわからないが、どのくらいなのか興味があるところだ。 

KaraのCMやイベント、テレビ出演などでの露出時間やその事務所への支払いを含めた経済的な総収入までは本書はふれていない。ただCMやイベント、テレビなどの出演料が事務所サイドの主張ではKaraの一人あたり2100万円、総計1億円超であるという。これは多額ではないだろうか。

このプレジデントロイターの記事を参照してみよう。

ようやくCM契約を複数持ち、連続ドラマの主演・準主演を果たすようになれば、基本月給は300万円の域に達する。これで年収3000万〜4000万円のレベルだ。07年度の一般企業社長の平均年収は3100万円(企業福祉・共済総合研究所調べ)。当然、中小企業の経営者からは「そんなにもらっていない」という声が上がってこよう。すると連ドラ主演級の大物タレントは年収面で上場・大手企業の社長クラスと推測できる。

 とある。KARAの事務所サイドの発言をそのまま信じるとすれば、KARA五人での日本デビューまもないアイドルにしては日本の主演級2.5人分を稼いでいることになり、彼女たちがCDやDVDよりもCMやイベントで日本で稼いでいることがわかる。彼女たちが日本で「目立つ」のはライブやCM、テレビなどで、ということになりそうだ。ただ注意すべきは、仮に彼女たちの総所得をすべてテレビ出演からのものだ、と仮定しても、上記のフジテレビが支払っている出演料総額の700分の一程度である。

 韓国のアイドルとそのファン層が日本のように「素人芸」的要素に価値をあまり見出さないというのはよくいわれてきた。本書でも長期にわたるアイドル候補育成への投資、それを短期間で回収しようとする業界のやり方がかかれている。また日本よりも韓国の方が芸能人の自殺も多いが、それは社会全体も多いからであり、アジア経済危機以降にそのような現象が加速しているという指摘もあり興味深い。

 韓国の芸能界のみならず韓国の経済や社会に関心がある人には一読をお勧めしたい快著だ。