僕が「みえないばくだん」の作画を引き受けた理由 | ちきゅうのおと♪フォト・ムービー・ライフクリエイターたかはしよしこ

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みえないばくだんの絵をかいてくれた、 
かとうはやと からのメッセージです。



僕が「みえないばくだん」の作画を引き受けた理由




旧友、おおしばよしこが綴った「みえないばくだん」という詩を初めて読んだ時、
瞬間的に僕が感じたのは、実は激しい嫌悪感でした。

これは明確に、作者に対する嫌悪感。
「あいつ、なんてモン書いてやがんだ」
と、率直に言ってそんな思いです。

そんな感情を抱いた作品に対し、何故その作画を引き受け、
今や共に絵本化を目指すにまで到ったのか。

あのお話しの中で語られていることは、望まれざる未来。
しかも、現実に起こり得る(または起こっている)という可能性を否定できない、強烈なもの。
それらネガティヴな要素のすべてが全編ひらがなによる
“お話し調”で明快に、淡々と語られていく為、
弥が上にも感情が乱され、不快感を覚える。
勿論、その先のメッセージが「こんな未来にしない為にも・・・」と続くことが理解できていても。
その結果、
ある人は悲しみ、
ある人は憤り・・・
あらゆるかたちで心が動く。
そして、その感情のぶつけどころは、一先ず作者おおしばよしこへと向かう。

そこでふと気が付いたのです。
この感情をぶつける相手は作者でも国でも某電力会社でもなく、
実は自分自身なのではないか、と。
何をするにも受身のままで、一丁前に不平だけは垂れ流す。
ネット上で情報収集をし、解ったような顔で傍観する一方、
実際は疑心暗鬼になって、すっかり思考が停止していたのではないか。

そんなもやもやした思いを抱いていた時に、おおしばから声がかかりました。
大変恐縮した様子で「みえないばくだんの絵をかきませんか?」と。
悩みました。
本当に悩みました。
そもそも僕はプロの絵師ではありません。
自分の趣味程度の絵を公に晒すことなど考えたこともなかったので、
それだけでもちょっと腰が引けてしまうところ、あの内容です。
率直に言って、
「あの作品に携わることは無条件で矢面に立たされる行為であろう」
と考えました。
万が一、作品が意図しないかたちで大きな注目を集めてしまった場合、
よもやすると僕は職を失うかもしれない。
僕には妻子があります。
得体の知れない悪しき活動家みたいな偏見の目で見られ非難を受けるには、
背負うものが大き過ぎると思ったのです。
それでも僕は作画を引き受けました。
何故か?
実は・・・
自分でもよく解らないのです。
勿論、おおしばの“真意”が心に響いたということは間違いないのですが、
言葉では何とも表現し難い。

結局、自分のような経済力のない人間は、何がどうあれこの国に留まり、
放射能汚染の漠とした恐怖の中、日常を守っていかなくてはならない。
だからこそ、最悪の事態を想定した“真実”を知りたい。
ネット上に溢れる様々な情報。
そこに真実を見出すことはもはや大変困難な状況で、
結局は自分の信じた方向に走るしかない。
そうした疑心暗鬼の中から生じる殺伐とした空気。
怖いのは崩れかけの原子力発電所だけじゃない。
「みえないばくだん」はどこまでも人の心を蝕んでいく。
故に、僕の想いはただ一つ。
“真実”を知りたい。
それには先ず、自分のような“これまで受身で生活をしてきた人間”が疑問を持ち、
声を上げることが重要なのではないか。
そんな意思が一枚絵を書き上げる毎に強まり、
最終的にはその思いを伝えることが使命感となっていったように思います。

発病して苦しむ人々の絵。
涙を流す女の子の絵。
できればこんな悲しい絵を描く為に自分の技術を使いたくなかった。
初めて公にする自分の絵がこんな悲しい絵だなんて・・・

でも、後悔はありません。

おおしばの想いが、僕の想いが、果たしてどのようなかたちで伝わっていくのか。
「みえないばくだん」という作品は大変デフォルメされたもので、
受け止め方によっては賛否両論、当然大きな非難を受けることもあろうかと思います。
しかし、そういった議論の中で、この作品に触れてくださった方々が何かを考え、
いよいよ行動を起こすきっかけとなれば幸いに思います。

未来の子供たちの為に?
いやいや、
今を生きる僕ら自身の為にも。



みえないばくだん(作画) かとうはやと