Übungsplatz〔練習場〕

福居伸宏 Nobuhiro Fukui https://fknb291.info/

第1稿(2011年09月14日)

【コラム連載 第1回 映画『イグジット・スルー・ザ・ギフトショップ』】

バンクシーの介入(ルビ:インターベンション)
棘と機智に満ちたアンビバレントな爆弾


 都市空間に忽然として現われるグラフィティ。その多くは夜の闇に乗じて描かれ、いずれは消去されることを運命づけられています。テンポラリーなアートとして独自のカルチャーを築いてきたグラフィティの世界にあって、単なる過激さを競い合うローカルなゲームからいち早く脱し、現代の社会に対する批評的なヴァンダリズム(破壊行為)を続けてきたグラフィティー・ライターがバンクシーです。この一般的にも著名なアーティストによる話題作、映画『イグジット・スルー・ザ・ギフトショップ』が日本でも劇場公開されました。
 その大まかな概要はというと、ロサンゼルスで古着商を営んでいたビデオ撮影マニアのティエリー・グエッタという男が、あるきっかけからグラフィティの世界にのめりこんでいき、その内幕を撮影→やがて覆面作家バンクシー接触し、彼のドキュメンタリーを撮影するようになるが作品はボツに→バンクシーの存在感に触発されたティエリーは「ミスター・ブレインウォッシュ」(MBW)を名乗り、自らもグラフィティを描くようになる→わずか半年後、ティエリーは大勢のアシスタントを雇って工房を開き、アンダーグラウンドではなくアートマーケットを意識した大々的な個展を開催。彼が考える“ホンモノのアーティスト”になろうとするのだが……といった内容。すでに多くの映画評が執筆され、また雑誌でも特集が組まれるなど、たくさんの論議を呼んでいる作品です。
 バンクシーという本物のグラフィティ・アーティストに対する、哀れな偽物のアーティストMBWといった両者の対比、そしてメディアを使った表層的な仕掛けにあっけなく釣られるアート・ファン=鑑賞者(消費者)の姿によって、現在のアート業界、コンテンポラリーアートやアートマーケットのシステムを痛烈に皮肉っているのだ、といった意見が劇場に足を運んだ方々の平均的な感想でしょうか。「笑える」という声も案外多いようです。しかし、この映画が「笑える」というのは、劇中描かれる世界の外、映画館の明滅する光の中で自分の脳内に生起した筋道=ストーリーを安心して享受できる、つまり、信じて疑う事がないという構図があってこそです。あるいは、自分にはよくわからないハイアートの権威的な世界に何らかのリベンジが果たされた……かのように錯覚すればこそです。むしろ本作は、映画を観る鑑賞者自身を映し出す鏡であり、そこで調達されたカタルシスこそが今日のメディアによっていかに自分が洗脳(ルビ:ブレイン・ウォッシュ)されているのかを計る指標となるでしょう。
 注意したいのは、日本語版のチラシやウェブサイトにバンクシー監督作品」と書かれているものの、劇中や英語版ウェブサイトにそんな文言はないということです。では、フェイク・ドキュメンタリーなのか? というと、そうとも断定できません。事実、ティエリー・グエッタ=MBWは実在し(’09年にはマドンナのアルバム・アートワークを担当)、個展「Life is Beautiful」もCBSテレビの旧施設を使って実際に開催されています。また、今作は世界のさまざまなドキュメンタリー映画部門でアワードを獲得しているものの、公式にはドキュメンタリーだとは謳われていません。もちろん、映像や編集の質を見ればドキュメンタリーのそれなのですが、演出あるいはヤラセ、事後に再撮しているのでは? といった疑念がわき起こるような綻びもあえてそのまま残されています。ストリートとアートマーケットを行き来する特異な存在たりえているバンクシー自身の行動原理は、安全圏からではなくグレーな領域に自ら身を置いて物事を問う姿勢、疑問を投げかける態度です。コンセプチュアルアートにおけるインターベンション(介入)のようにこの映画自体を戦略的に機能させ、バンクシー的作法を鑑賞者にも感染させることが彼のねらいなのでしょう。
 そもそも、本作の元々のタイトル案は「クソのような作品をバカに売りつける方法」でした。ドキュメンタリー風の映像であればドキュメンタリー映画だと受け取り、流行のヒップなアート風の作品であれば本物のアートだと受け取ってしまう。人々のそういった思考停止、価値判断の自動化こそをバンクシーは撃つ(ある部分では彼自身も撃たれる)、とともに、それだけでは終わらせず、この映画を安易に面白がっている者に対しても、「本当にオマエもメディアが流布する売り文句や消費社会のさまざまなシステムに飼い慣らされていないと言えるのか?」と問うているように思えます(この映画を観終わった後、劇場の売店=ギフトショップをスルーすることができず、パンフレットを買い求めた人がどれだけいたことか? そして、そもそもパンフレットなど作られていなかったことの意味に撃たれた人がどれだけいたことか?)。
 ただし、バンクシーは元のタイトル案を採用しませんでした。それは、洗脳に対する反洗脳といった単純なメッセージでは意味がなく、逆洗脳で思想改造することにも疑問を投げかけ、人々が自立的な脱洗脳を目指すよう道筋をつけていく、といった企図なのでしょう(これはまさに今日の日本に求められていることでは?)。メタフォリカルなシンボルや意味を巧妙に配置することで鑑賞者の精神へと介入し、問いと疑問を持続させること。私自身、一人の作家として、バンクシーがストリートで培った闘い方から学ぶ事も多いように思います。


※コンテンポラリー・アート・マガジン『ファウンテン』創刊号に掲載
https://www.facebook.com/fountain.mag
http://fountain.6.ql.bz/






サンガツが今後の作品の著作権を放棄 - ナタリー

サンガツが2012年以降の作品について著作権を放棄することを発表した。

音楽とリスナーとの関係が「所有」から「共有」へ移行していく中で、著作権が最大のボトルネックになっていると考えたサンガツ。これから彼らは著作権を放棄することで、どうやって音楽で収入を得るのかという考え方から離れ、アーティストの論理でなくユーザーやネットの論理に身を任せながら新しい音楽流通のあり方を模索していく。

http://natalie.mu/music/news/63216
以前の所属レーベルHEADZ代表の佐々木敦さんのコメントあり。


サンガツについて - エクス・ポ日記

サンガツのHPに「大きなお知らせが2つあります」として、以下の文章がアップされました。


http://sangatsu.com/


そこで述べられている彼らの決断について、HEADZ/WEATHERレーベルのオーナーとして、補足的に記しておきたいと思います。

http://expoexpo.exblog.jp/15320124/