前回ブログ
で、言霊の話を書きました。
「私は芯が通っている!」と言うだけで人に押されても倒れにくくなったり、「軽い」と言うだけで重い物が軽くなったりする話も書きました。
え~?なんで?って思うでしょう。
でも、
なぜ?と考えてはいけません!
だって事実なんだから
事実に対してなぜはいらない
これがこれから話す大事な法則です。
人は万物に対して理屈をつけ、理由を求めて解明しようとしてしまう悪いクセがあります。
そして解明できない物に対してそれを認めようとしないのです。
こういった学問的に理屈をつけようとするのは割と欧米の思想です。
以前ブログで
日本は自然と共存する思想で
中国や欧米は自然を支配しようとする思想
という話を書いた事がある。
そういう思想になった理由は長くなるから次の機会に。
今は
なぜそうなった?とは考えない事にしよう。
日本人は自然を受け入れてきた民族です。
自然を受け入れる時に大事なのは「なぜ」と考えない事なのです。
「なぜ」と考えない事でいろいろなものを受け入れる事ができます。
そして日本人は自覚せずにそれをやってきたから、西洋から自然を解明しようとする思想や学問が入ってきたとき、「そりゃいいや」とばかりにそれすらも受け入れてしまいます。
明治維新以降日本では西洋化が進み、その思想も多く流入、敗戦後教育によって更にそれに拍車がかかりました。
脱線するけど、クリスマスを含む色々な宗教行事も日本人は「そりゃいいや」と受け入れてしまうわけです。
西洋の思想は理屈がベースです。
理屈って言うのは本来他人や自分を納得させるためのものです。
そんな訳で西洋思想っていうのは理にかなっている(ように感じられる)から「なるほど!」って信じちゃう。
別にそれがいけないわけじゃ無い。
でもそれが落とし穴。
言霊もそうだけど、日本のアミニズム的思想などは理屈をつけづらいために「なるほど」とは思えない。
だから迷信的に思われたり、なかなか受け入れる事はできないのは当たり前だ。
でも人として生きる上で大切なことは何かと考えると、自然を受け入れるということに鍵が隠されていると思うんですよ。
ここでいう「自然」というのは森羅万象、おきている事象すべてということです。
起きている事象を受け入れるというのは言い換えると事実(=現実)を受け入れるという事です。
受け入れる=信じるべき事は妄想でも絵空事でも無いし、他人が提唱した理屈でもありません。
目の前に起きている事実を事実として受け入れる事が大事です。
タレントをベースに考えた時、例えば自分がオーディションに受からず、他の子が受かったりすると、
「なんで私じゃ無くてあの子が?」
って思う人がよくいます。
しかし、そこに「なんで」は無い
「オーディションに受からなかった」ということが事実だ。
理由を解明したところでそのオーディションに受かるわけでも無いし、別のオーディションに受かる保証も無い。
「なぜ?」と考える行動は頭を使う。
でも、事実を受け入れるのには頭は使わないはず。
起きた事を起きたと認識するだけだから。
ここ、大事!
考えないことが大事なんです。
「なぜ?」と思う人はそこに理屈をつけるために色んな事を想像し、頭を使います。
その過程で妬む事もあるでしょう、落胆する事もあるでしょう。
気持ちが大きく変化して疲れます。
色んな事を考えて
無駄な時間を過ごす事になります。
頭を使うと疲れるし、なるべく頭を使わないようにしましょう。
事実として認識するということはつまり考えなくても導き出せることです。
オーディションに落ちたということは
何かが自分に足りなかったということ
そのためにやるべき事と言えば、その足りないものを習得する事です。
そして足りてないものを習得すべく努力をすればいいだけです。
これらの事は考えなくても導き出せるはずです。
そんなの当たり前じゃん、って思いますよね。
こうして第三者的に他人事として見ているとそう思えます。
でも、当事者となるとそうもいかなくなってしまうんです。
自分が当事者になった時でも対処できるようにしておきましょう。
そんなの当たり前じゃん、って言う事ができないのがこの世の中です。
当たり前のことというのはつまり自然なことなんですよね。
それなのに自然に抗おうとしてしまう。
それはとても無駄な時間です。
わかっているのに考えちゃうんだよ…
という人がいます。
そういう人は実はわかってないんです。
考える事をやめる方法、それはまず第一に
なぜ?と思わないこと
です。
そこから始めましょう。