コラム

東京の工事現場はマジックワールド

2009年10月05日(月)13時22分

今週のコラムニスト:マイケル・プロンコ

 この数年、私はJR中央線の高架工事に夢中だ。駅ビルが立ち上がり、新しい線路が引かれ、プラットホームが持ち上がり、配管が敷かれ、線路のじゃりがまかれるのを毎日のように眺めている。ほとんどの東京人は目もくれないだろう。だが私は帰宅すると、「ただいま! 武蔵境駅の西側に、ついに電線が張られたよ!」と妻に報告する。妻はヘンな人、という顔で私を見る。

 たぶん男は本能的に、トラックや道具やブロック積みが好きなのだろう。男はスポーツ好きでもあるが、私は工事を眺めるほうがもっと好きだ。ラッキーなことに東京ではいつでもどこでも、工事ウオッチングの快楽に浸ることができる。おまけに、東京の工事は1度で2度楽しめる。人々を現場から迂回させる工事と、実際の建設工事が同時並行で進んでいるからだ。

 一番驚くのは人の流れを変えてしまうこと。こうしたやり方は欧米では見当たらない。世界で最も混雑する新宿駅では、プラットホームの改修やエスカレーターの増設を考える前に、1日平均80万人近い乗降客を別のルートに誘導する計画を立てなければならない。まるで大海原を航海しながら船体を修理するようなもの! 何とも気が遠くなるような作業ではないか。

■複雑な足場がクモの巣のように東京を覆う

 人や建物が密集しているる現場では、工事は難しくて危険なものになるだろう。人間がひっきりなしに歩いている場所にどうやってクレーンを運び込むのか? 資材の搬入は夜間だけに限定するのか? 毎日何千人もがそばを通りかかる建物に囲まれたビルを、人間や周辺に影響を与えずに解体するにはどうする?

 東京の建築家やエンジニア、設計者はこれらを考えると夜も眠れなくなるはずだ。彼らの夢は、誰1人いない土地に自由に建物を建てることに違いない。

 人や車の流れを丁寧に迂回させる無数の方法を編み出す技は、東京ならではだ。もはや伝統芸の域に達していると思う。人の流れを変えること自体がもはや1つの産業になっており、迂回路の仕切りにはさまざまな素材とデザインが採用されている(私が好きなのは、内部がのぞける窓がついているものだ)。あらゆる工事現場には、留め具やかすがい、ボルトや鉄柱などを複雑に組み合わせた足場が組まれ、巨大なクモの巣のように都市を覆っている。

  工事現場ではカラーテープ、縞模様の包装材、弾力性のあるウレタン、人にけがをさせないための緩衝材が大量に使われる。混雑した駅では身動きしづらいから、工事のために以前よりも低くなった通路の天井にぶつかることもあるが、柔らかい素材でカバーされているから頭が割れるようなことはない。これは本当に有り難い。

■ビニールシートはレッドカーペットのよう
 
 そして、驚くのは工事のお知らせの丁寧なこと! 整然と点滅するライト、光を反射する標識、プラスチックの案内板は嫌でも目に入る。東京は、工事現場をまるでクリスマスプレゼントのように丁寧に包み込む。世界のどこを見渡しても、東京ほど周囲に配慮しながら工事を行う都市はない。

 しかも、謝罪を欠かさない。どの工事現場でも、イラストの作業員がヘルメットを脱いで「ご迷惑をおかけします」と謝っている。思わずこっちも頭を下げて、「かまいませんよ! ちゃんと歩けますから。工事が終わったら教えてくださいね」と言いたくなる。

 フロアや地面に敷かれる緑色や青色のビニールシートは、王室御用達のレッドカーペットのようではないか。歩くのはただの通勤客の私なのに。ニューヨークの工事現場で見かけるのは、囲いと方向を示す矢印くらいのもの。おわびの言葉など皆無だ。

 東京は「使い捨てのビル」で埋め尽くされており、ビルや駅は取り壊される一方、すぐにまた建設工事が始まる。どこもかしこも工事中だから、工事のない地区はさびれているようにさえ見える。「工事中」の看板はその地区の活力、楽観主義、発展のしるしになった。

 人の流れに気を使うのは、公共スペースが共有物として尊重されていることを意味している。工事が日常茶飯事だとしても、歩道や退出路などを塞いで人々に不便を強いるとしたら謝るべきなのだ。不便をかけて申し訳ないという言葉を目にすると、私は自分が都市の一部であり、公共スペースは自分のものなのだということを実感する。

 建設が繰り返される東京の景観は絶えず変貌するが、ともかく今のところ、通りかかる人への思いやりは失われていない。それがうれしい。もちろん工事のお知らせがどんなに丁寧でも、ときには頭をぶつけてしまうのだけれど。

プロフィール

東京に住む外国人によるリレーコラム

・マーティ・フリードマン(ミュージシャン)
・マイケル・プロンコ(明治学院大学教授)
・李小牧(歌舞伎町案内人)
・クォン・ヨンソク(一橋大学准教授)
・レジス・アルノー(仏フィガロ紙記者)
・ジャレド・ブレイタマン(デザイン人類学者)
・アズビー・ブラウン(金沢工業大学准教授)
・コリン・ジョイス(フリージャーナリスト)
・ジェームズ・ファーラー(上智大学教授)

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